創立者小原國芳資料

玉川学園創立者小原國芳は、1887(明治20)年7月10日、現在の鹿児島県川辺郡坊津町久志の地に生まれる。7人兄弟の3男、幼くして父母を失い、貧苦の幼少年期時代を耐える。13歳で電信技手となり、なお向学の念止み難く、鹿児島県師範学校、広島高等師範学校とすすみ更に1915(大正4)年、29歳にして京都帝国大学に学ぶ。

1919(大正8)年、成城学園の創立者沢柳政太郎の招きにより上京。成城小学校主事、後に成城学園長として教育改革運動に情熱を傾ける。
1929(昭和4)年、玉川学園を創立。情熱溢れる弁舌で、著述で多くの人々に語りかけ、日本の教育発展に生涯を献げ、教育界に多大の影響をおよぼした。理想に燃えつつも、学校経営は困難をきわめたが、独自の一貫教育の場として現在の総合学園に発展させた。
1977(昭和52)年12月13日、90年の生涯を閉じた。

(第一展示室)

「夢の学校」

小原國芳画
墨画 紙 18.5×22.0cm

1918(大正7)年、京都帝国大学時代に書かれたもの。玉川学園は「夢の学校」そのものとなった。

「通信技術養成所修了証書」

1901(明治34)年5月31日付 鹿児島郵便電信 局長
紙 25.7×33.3cm

学資がなくて中学校へ進学できなかった國芳少年は13歳で通信技術養成所に入所し、鹿児島大浜海底電信所の技手となった。

「京都帝国大学卒業論文草稿」

1918(大正7)年
紙 25.0×17.7cm

論題は「宗教による教育の救済」で、原稿用紙1,500枚におよぶ。調和のとれた人格の形成には、宗教、哲学、芸術を重視すべきであるというのが趣旨。

教育博物館第1展示室内の「創立者小原國芳関係資料」と「玉川学園史」のコーナーで関連資料を展示しています。

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