幸福とは何か─幸福の問い方─

2017.04.03
山口 意友

先日,『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』(青山拓央著,太田出版,2016 年)の書評(主に地方紙に配信)を書いてくれとの依頼を共同通信社から受けた。そこでさっそく手にとって読んでみると,幸福について考える際,非常に大きな示唆を与えてくれる本であったので,書評には書き切れなかった分も含め,ここで詳しく紹介したいと思う。
およそ人は誰もが自身の幸福を願い,不幸を願う人はいないだろう。たとえ現世に絶望して死を願う人であろうと,現世から解放されるという幸福を望んでいると言えるだろう。一般に我々は快楽を得た時,また自分の掲げる目標を達成した時,さらには安定した生活が確保できた時,その他様々な場面で自分の望みが叶ったときに幸福を感じる。いわゆる欲望や意志が実現したときの満足感である。幸福の内実は,その人の現状によって日々変わっていくものであり,ましてや自身が願う幸福と他者の幸福とでは異なっている。それゆえもともと個別的・多義的であるはずの幸福を「幸福とは何か」という形で普遍的に問おうとすれば,当然反発を受け,批判は避けられないことになる。さまざまな形で幸福が語られたにしてもそれらを批判する文言は極めて単純である。曰く,「それは本当の幸福ではない」。自身の幸福について一度でも考えたことのある人は,「今,自分が意識している幸福は本当の幸福だろうか」と疑問を持った人も多いのではなかろうか。幸福が多義的である以上,幸福を問うにはその問い方が重要となる。
著者の青山氏は,幸福への問いを「幸福とは何か,いかにして幸福になるか,なぜ幸福になるべきか」という3 つの観点に分け,まずはアリストテレスの『ニコマコス倫理学』などを中心とした幸福の哲学的問題を押さえつつ,幸福論における実在論(本当の幸福が存在する)と観念論(幸福と認識・意識する)の相違を示していく。それによって,我々がよく使う「それは本当の幸福ではない」という言説の中に幸福の実在論的観点があることを見出し,この観点から幸不幸が正邪化される兆しを指摘する。そしてこうした幸福の全体像を哲学的に分析し鳥瞰した上で,「健康とお金」「仕事と立場」「育児」「所得と幸福の問題」「他者との比較による幸福」「格差」などのような具体的な観点から幸・不幸の問題との関連を示していくが,「幸福と不幸をかたちづくるもの」と題されたこの第3 章を読めば,哲学に無縁な人でも幸不幸に関する哲学的な知的好奇心がわき上がってくるに違いない。そして「本当の幸福とは何か」というような問いかけの問題点をソクラテスの誤謬によって指摘しつつ,その解決を「快楽・欲求充足・客観的な人生のよさ」の「共振」という観点から明らかにしていく。すなわちこれら三者が生活の場面にて「共振」する時に幸福が生じるとするのである。
幸福に関する哲学的分析は見事であり,自身の幸福観を問うてみようと思う人には是非ともお勧めしたい書である。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
  • 九州大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。文学修士。
  • 専門は、道徳哲学、教育哲学、並びに応用倫理。
  • 福岡の純真短期大学を経て現職。
  • 著書:『教育の原理とは何か-日本の教育理念を問う-』(ナカニシヤ出版 2012)、「『反道徳」教育論-「キレイゴト」が子供と教師をダメにする-』(PHP研究所 2007)、正義を疑え!』(筑摩書房 2002)、『平等主義は正義にあらず』(葦書房 1998)、『女子大生のための倫理学読本』(同 1993)。共著に『教職概論』(玉川大学出版部 2012)、『よく生き、よく死ぬ、ための生命倫理学』(ナカニシヤ出版 2009)、『情報とメディアの倫理』(同 2008)、『男と女の倫理学』(同 2005)、『生と死の倫理学』(同 2002)、『幸福の薬を飲みますか?』(同 1996 )。共訳に『環境の倫理』(九州大学出版会1999)、『健康の倫理』(同1996)。
  • 学会活動:日本倫理学会・日本教育学会・日本道徳教育学会・西日本哲学会・九州大学哲学会