明治を引きずった算数の内容

2017.10.03
守屋 誠司

日本における近代数学教育は明治5年の学制から始まる。それ以前は,初等教育に相当する一般庶民が読み書き算を習った寺子屋と中等教育に相当する武士の子弟が通う藩校があった。学制以降これらは,大雑把に言えば尋常小学校(国民学校)・尋常高等小学校と旧制中学校・高等女学校に取って代わった。庶民に必要な教育は小学校で,将来のためのエリート養成に必要な教育は旧制中学校という,はっきりとした校種による役割分担ができたと言え,昭和22年3月まで続くことになる。戦後の教育制度改革で,初等教育と前期中等教育は義務教育となり,国民全員が等しく中学校まで進学する。高等学校への進学率がほぼ100%である現在では,戦前のエリート予備軍の中学校生・高等女学校生が学んでいた内容をほぼ全員が学習することになった。小学校の算術と言われる内容しか授受できなかった子供達が,数学という学問の基礎となる内容を学べるようになったのである。画期的な変革と言え,国民の平均学力レベルは戦前に比べて一気に向上しているはずであるが,さて,どうだろう。
確かに制度上は小・中の9年一貫となったが,その内容を見ると,明治以来の役割分担が教育内容の棲み分けとして,以下のように見え隠れする。
小学校の数と計算の領域は代数学につながる内容である。低学年から未知数を□や△で表したり,計算のルールを□+△=△+□と表したりしている。6年生になると,それらは,文字x, a などで表現される。しかし,代数学のスタートとなる文字や文字式,等式の性質の学習は中学校から本格的に始まる。ここには,小学校では算術と言われてきた日常生活上必要となる数値計算が中心となり,旧制中学校から代数の基礎である文字(式)が指導されているという,戦前の棲み分けが,今でも続いているのである。ところで,小学生は文字(式)を理解できないのであろうか。そこで,外国での指導例を調べてみると,ソビエト連邦に属していた国では,現在も低学年から,文字(式)を扱っていた。また,我々の実験から,日本の1年生でも未知数を□と記号☆やx とした問題の正解率に有意差は無いことが分かった。子供は大人が思っているほど文字に対して抵抗がないのである。これらのことから,少なくとも未知数としての文字(式)の指導が小学校低学年から体系的に指導できる可能性を示している。
小学校の図形の領域は,幾何学につながる内容である。小学校では,これに,長さ・面積・体積の計算が加わり,図形を計量の対象とする。中学校では作図を扱った後から,本格的な論証幾何が指導される。図形教育の流れにおいても,公理・定義・定理で作られる数学の体系はエリートのみが知るべき内容で,庶民は求積計算や換算計算ができれば良いという戦前の分担を引きずっている。本当に,小学生は論理を理解できず,演繹的な論理による説明ができないのであろうか。我々の教育実践の結果から,小学校5・6年生が簡単な論証を学習できることや,演繹推論そのものの学習も可能であることが分かってきた。論証幾何も,中学校になるのを待たなくて良いのである。
学習指導要領の改訂が戦後に何回も行われてきたが,算数と数学の質的内容の違いはそのままである。9年一貫の数学教育を志向しているのであれば,子供は本来何ができるのかを,改めて調査研究して,内容とカリキュラムを構築しなおす必要がある。
ただ,インターネットが当たり前になり,いつでも,どこででも学習が進められる時代では,個々人が自分に合った学習内容とペースを選択できる。さらに,これら選択には人工知能が支援してくれることを考えれば,放っておいても良いのかも知れないが……。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
  • 東北大学博士課程情報科学研究科修了。博士(情報科学)。
  • 山梨県の公立小・中学校の教諭を勤めた後に、兵庫女子大学専任講師、山形大学助教授、京都教育大学教授を歴任。この間に山形県立保健医療大学、福島大学、大阪教育大学等の非常勤講師を務めた。京都教育大学名誉教授。山梨大学・東京福祉大学非常勤講師。
  • 専門は数学教育学で、教材開発や教育方法、数学的認知、比較数学教育、数学の文化史を研究する。
  • 数学教育学会理事。
  • 著書:『小学校指導法 算数』(玉川大学)編著・他多数。