学級づくりは自分づくり

2013.11.28
通信教育部長 寺本 潔

学級に必要な学習規律

どことなくざわつき、落ち着きのない学級があると思えば、しっとりとして静かでいて安心感が漂う学級もある。もちろん、目指したいのは後者であろう。前者の学級には私語や机や椅子を動かす摩擦音が多かったりする。後者の学級には、「つぶやき」がある。いわゆる「つぶやき」と私語は違う。授業中に子どもが自分自身の主体的な問題意識から思わず発する言葉が「つぶやき」であり、そうでない単なるおしゃべりが私語である。私語が多い授業は学習の成果も望めないのではないか。一般に私語が多い学級では、子どもたちの集中力も弱く、数名のできる子だけの発言や回答を取り上げて教師が勝手に授業を進めがちになる。授業が始まっても教科書やノートも開かない、鉛筆の握り方も下手で板書を筆記する時間もかかる子どもがいるのもそうした学級の傾向である。これらの傾向が強まるとそれだけで授業のリズムが滞りがちになる。
教師が説明している際にきちんと児童に聞く姿勢が保てているか、隣の席の児童や班の仲間と学習問題に対して解決策を話し合えるか、基本的な聞き合うための話型が子どもの中に身に付いているか、近くの仲間と対話する際の「声のものさし」が出来ているか、真摯な姿勢で聞けるか、学習した用語を使って話せるか、聞き取って要点を書くことができるかなどが基礎である学ぶ力として獲得されているか、学習を進める上で欠かすことのできない最低限の規律がある。
もちろん、一朝一夕にはこれらの資質・能力は身に付かない。帰りの会で連絡帳に明日持ってくるものを伝える場面でも例えば、1学期は「先生が今から話す言葉を全部ノートに書き留めなさい。」2学期は「大事だと感じた部分だけ書き留めなさい。」3学期は、「箇条書きで書きなさい。」とか、と指示し、着実に聴く力を積み上げていく指導が大切になる。友達の意見を聞くときは、「アイコンタクト(目を合わせる)」「ときおりうなづく」「おたずねをする」などといったように上手に聞く姿勢を少しずつ養っていく教師の地道な指導が欠かせない。
通信教育部に所属している学生さん(現職の教員)の中には、実際にこれらの努力を毎日欠かさずに学級指導を行っている方もいらっしゃるだろう。また、これから教師を目指そうとしている方にとっては学習規律をつくり上げていく地道な努力がいかに大切かを感じ取ってもらえたら嬉しい。

避けたい「えこひいき」

かなり昔の記憶で恐縮だが、わたくしは1983年に茨城県にある筑波大の大学院(修士課程教育研究科)を修了し、新卒教師として東京都心の文京区にある筑波大学附属小学校教諭として着任した。最初は、4年生の担任として教師人生をスタートさせた。その際、自分の学級づくりの基軸に置いた言葉は、「えこひいきを絶対にしない」という言葉を心で唱和することだった。当初、わたしは授業でわたしからの発問に対し的確に答えてくれる明るく元気な子どもばかりをどうしても指してしまう安易な自分があった。休み時間でも笑顔で教卓に座っているわたしに近づいてきた可愛い子どもをどうしても肯定的に捉えてしまう自分がいた。だから、子ども同士の口論やけんかの場面では、特に「えこひいきの目」に陥ることを注意していた。ひいき目で見てしまいがちな自分自身の感情を極力抑えて「公平に平等に、絶対にひいき目で見ないぞ!」と言い聞かせながら対処していたことを覚えている。また、学級づくりという耳障りのいい言葉に見合うだけのマネイジメント能力がなかった当時のわたしは、とにかく子どもたちと過ごす時間を多く持つように心がけていた。先輩教師からは「寺本さんは、(授業は下手だけど)いつも運動場に出ていて子どもと一緒に遊んでいることだけはいい姿勢ですね。」と慰められたものだった。「えこひいきに要注意」は、子どもたちとの距離の取り方を再考させる上で教師にとって大事な姿勢かもしれない。

「大すき!友だち先生」でいいのか

勤務した筑波大学附属小学校は、明治期から続く歴史ある小学校で、今でも全国屈指の研究校である。そのため、年2回の公開授業研究会が催されている。当時、わたしも新卒であるが、容赦なくすぐに授業公開を求められた。当時、25歳であったわたしは、いわゆる友だち先生と呼ばれるくらい子どもたちと心理的な距離が近かった。学級の数名の子どもたちに「ああ、どうしよう。いよいよ明日、研究授業を全国からいらっしゃる参観者に見せなくてはならない。上手くいくかなあ・・・。」と思わず悩みをつぶやいてしまった。すると、子どもたちからは「先生、大丈夫だよ。僕たちがしっかり授業で頑張るから。」と心強い応援の返事が返ってきたのである。事実、公開授業の折、学習問題につながるキー発問に対して、普段はあまり挙手しない子どもまでもが、さっと手を挙げたのである。授業後、若い教師の特権だね、と先輩の先生方から冷やかされたのは言うまでもない。
 この例がいいのかどうか分からないが、友だち先生という言葉は文字通り、子どもたちに一種の友だち感覚で接することのできる教師を指す言葉である。しかし、果たして友だち先生で良いのであろうか。若い教師の中にはともすれば、この種の感覚を履き違えている例がないだろうか。「友だち」の中の「やさしさ」が何でも許してしまう感覚を指しているとしたら、間違いである。教師と子どもの関係は、どこまでいっても教師と子どもである。「友だちのような関係」は一見有効に働いても、教授や指導という言葉にはなじまない。かといって厳しいだけの教師になっても困るわけである。信頼という文字を介在させながらいかに子どもとの間に温かな師弟関係を築けるか、それが鍵となる。「えこひいき」と並んで、本当に難しい課題である。

授業場面で学級の人間関係をつくる

附属小学校教諭としてスタートしたせいか、また社会科が専門領域であるせいか、教科専門色が濃い学校に勤務していたことには違いない。でも、わたしは授業を単に教科専門を教える場とは捉えていない。授業場面は子どもと子ども同士や教師と子どもとの人間関係を豊かにする学級づくりの場と思っている。小学校の場合は、とりわけ学習指導は学級における生活指導とイコールの側面が強い。学習指導と生活指導の両者が相まって学級が成り立つと思っている。なぜなら、授業場面で発言力のある子どもは、授業以外の生活場面でも同じように振る舞えるからだ。このことは、「授業を通して学級づくりができる」というフレーズが真実であることを示唆している。授業という学習の場で、子どもたち1人ひとりが自分の意見をきちんと発言でき、同時に友だちの意見も聞くことのできる姿こそ、目指す学級と位置付けたい。
 授業の場で友だちの意見を真摯な態度で聞くことのできる子どもは、休み時間でも総じて友だちづきあいが上手い。反対に、自分の意見を語気を強めて主張する子どもは、元気な印象は持たれるが、友だち関係があまり良くない。授業場面では、良き聞き手となる子どもを育てる指導を教師は意識して取り組む必要がある。
授業場面において学級の人間関係を改善する手立ては、教師の出方如何にかかっている。「ポーカーフェイスに徹すると次第に子どもたちから、いい意見が出てくるよ。」と当時教えてくれた先輩教師がいた。社会科授業の名人と呼ばれる有田和正先生である。新米教師であったわたしは、なかなかその表情が上手く表現できなかったが、子どもの発言に対して、いかにも「へえー、そうなのか、驚きだね!」とか「どうして?」などととぼけた表情に徹することで子どもたちから発言が増えてくると教わった。ここで注意しなくてはいけないのは、「その意見はどういうことですか?もっと詳しく先生に教えてくれませんか?」と直接教師から問い直したり、言葉を足して「あなたの言いたいことは、こういうことですよね。」と安易に助け舟を教師から出したりしないことである。教師は、徹底して知らないふりをして、「OOさんが、今言ってくれたことを『それはこういうことじゃないかな』って分かりやすく言い換えてくれる人はいる?」「別の言葉で先生にも分かるように言ってくれる人はいませんか?」と聞いていたほかの子どもたちに問い返す指導が欠かせない。この手間を惜しまないことで、発言した子どもは、ちゃんと友だちが聞いていてくれていると安心し、助け舟をしてくれた子どもには友だちを助けたという意識が生まれ、学級の雰囲気が次第に温かいものに変わってくる。実は、わたくしも小学生の時分には、大変おとなしい子どもであったため、なかなか挙手する勇気がない子どもの気持ちがよく分かった。友だちとの関係性を大事にした授業こそ、学級づくりの基盤になる。
通信教育部で学んでいる多くの学生さんに期待したいのは、教科指導力をもっと高めてほしいということである。オールマイティ色の強い小学校教師と言え、1教科でいいから、自信を持って指導できる教科力を磨いてほしい。小学校教師はまんべんなく教えることができるように要求される面があるものの、30年も現場にいて1教科も自信を持って指導できない教師になってはならない。1つができれば、他もできるようになるものである。教科指導は、学級づくりに大いに関係する。そして、ひいては自分づくりにつながることを記憶していてほしい。

プロフィール

  • 教育学部教授 学部長・通信教育学部長
  • 筑波大学大学院修了。教育学修士。
  • 専門は、社会科教育、生活科教育、人文地理学、環境教育論など。
  • 愛知教育大学教授を経て現職。
  • 著書:『子どもの初航海―遊び空間と探検行動の地理学』(古今書院)、『思考力が育つ地図&地球儀の活用』(教育出版)などがある。
  • 日本社会科教育学会幹事、日本地理教育学会常任委員など