それでも、さくらは咲く

2015.02.05
鈴木 牧夫

2011年春、被災地の人々は、こんな想いで心が満たされた。3月末日に仙台から東京にバスで帰る途中で見た飛鳥山公園の桜は正視できないほどまばゆく見えた。バスの中では古老の女性が次のようにつぶやいていた。「家は遺体が見つかって幸せだ。隣の家の人はまだ遺体が見つからない」と。5月の連休に見た、勾当台公園の八重桜もまばゆく見えた。震災から二ヶ月近く経って、街には手を取り合ってゆったりと歩く家族連れが多く見られた。身近な人たちが被災に遭いながら、自分たちが生き残った安堵感であろうか、何とも言えない感情に襲われた。この時、仙台市役所には、「がんばろう」ではなく、「共に 前へ」というスローガンが掲げられていた。同じ連休に被災地の亘理町立荒浜保育所を訪れた。海から80メートルしか離れていない保育所は津波をかぶってしまって、園庭は片付いていたものの、部屋はがれきの山となっていた。にもかかわらず、園庭に植えられたばかりの小さな八重桜は流されもせず満開の花をつけていた(写真参照)。自然の怖さと力強さを同時に感じさせられた。
冒頭のタイトルの本を福島市さくら保育園が出版した。さくら保育園は爆発した原発から60キロ以上も離れているのに、放射能汚染が激しい渡利地域にある。この本は、原発被害から子どもたちの命を守る実践を三年間に渡って行ってきた記録である。
一年目。当初は放射線量に変化はないと言っていたのに、四月になって放射線量を測ると高い値が出た。園庭での外遊びさえ不可能な状況の中で何ができるかを考えた。保護者と職員で協力して、通路やベランダをデッキブラシで水洗いして、保育園敷地内の汚染マップを作った。六月になって、園庭の表土除去が行われたが、安全とは言えず、ペットボトルによる遮蔽を考えた。夏のプール遊びにについて、反対の意見もあったが、放射線量を測り、保護者の合意を得て実施した。「科学的に恐れる」ということを学んだ。
二年目。園独自の食品放射能測定器を補助金なしで導入して、食の安全を確かめて給食を行った。この測定器を利用して、食材だけでなく、ザリガニやカブトムシ、どんぐりやまつぼっくりなど、子どもが手にするものまで測定した。
三年目。自然に触れさせたいということで、プランターによる花や野菜の栽培が始まった。散歩コースの線量を測定して、安全な散歩コースをつくり実施できるまでになった。
以上のように困難な状況下においても、多くの新しい保育が創造されている。保育の原点とは、人と人とのつながりを深めながら、子どもたちの命を守り育てる営みであることを再認識できる。一読を薦めたい。

プロフィール

  • 通信教育部 教育学部教育学科 教授
  • 東北大学大学院教育学研究科博士課程修了
  • 専門は発達心理学 保育学 保育現場と結びついた発達研究を行っている
  • 全国保育問題研究協議会常任委員会代表
  • 東社協保育部会講師
  • 著書:「子どもの権利条約と保育」(単著)、「イメージの世界をつくる子どもたち」(共著)、「かかわりを育てる乳児保育」(共著)、「確かな感性と認識を育てる保育」(共著)等