阪神・淡路大震災に学んで

2016.02.17
鈴木 牧夫

東日本大震災以来、私たちの研究会では、震災の現状を把握しながら被災地の要求にあった支援活動を行うとともに、震災から何を学ぶかというシンポジウムを毎年行ってきた。今年度は、阪神・淡路大震災から二十年が経過しているということで、東日本大震災と関わらせながら、阪神・淡路大震災から何を学ぶかというシンポジウムを行った。
兵庫の保育運動のリーダー的存在である増田百代さんからその当時の状況を話していただいた。大地震の倒壊と大火によって、多くの被害が発生した。認可保育所の被害は子ども29名、職員3名が亡くなり、建物の被害は全壊5カ所、半壊12カ所であり、無認可共同保育所は全壊2カ所、半壊3カ所であった。朝に発生したために、東日本大震災のような保育所内の死亡事故はなかったものの、保育者たちは、夜が明けるとともに生存確認を行い、電気、水道が止まった状態にあっても、被害の少ないところから保育を再開している。近隣からの支援も受けながら避難所の青空保育というユニークな取り組みもなされた。災害があったときに、保育所はなくてはならない施設であることが明らかになった。
増田さんは、この体験をもとにしながら、災害に備えてあるべき保育所の姿を次のように描いている。
「今の三倍の敷地を確保して、施設も二倍の大きさにし、二階建てにします。保育室は一階で二階はホールにし、災害のとき、二階は地域の避難所に開放します。地下シェルターをつくり、保育園児と保育士が一週間過ごせるために食料・寝具を備蓄します。園舎は園庭のど真ん中に作り、自家発電を備え、園庭に手動の井戸を掘り、園庭の周りには木を植えます。また、保育園の周りは公道で囲います。子どもたちは通常定員の七割しかいません。災害が起きるとすべての子どもが保育に欠けることに備えます。」
以上のような提案を行っているのだが、20年経過して現状はどうであろうか。待機児童の増加に伴って、都市部ではますます狭い部屋に多くの子どもを入れて、園庭もないなかで保育を行うようになっている。災害がどこで起きてもおかしくない時代にあって、再考を迫る提案であるように思われる。

2015年4月、津波被害に遭った、亘理町立荒浜保育所・吉田保育所は、仮設保育所からもとの地域への新築の保育所へと移転した。大津波のときには、両保育所とも近くの中学校や小学校に避難して、子どもの命を守ることができた。この教訓を踏まえて、新たな保育所は、新築三階建ての小学校の隣に建てられた。定員は60名と小規模にして、緊急時対応ができる規模を維持している。現在、月一回避難訓練をしながら避難路や避難場所の点検を行っている。(写真−吉田保育所と長瀞小学校が隣り合っている)
人と人とのつながりの中で子どもの命を守り育てる保育施設としてさらなる充実がはかられている。

プロフィール

  • 通信教育部 教育学部教育学科 教授
  • 東北大学大学院教育学研究科博士課程修了
  • 専門は発達心理学 保育学 保育現場と結びついた発達研究を行っている
  • 全国保育問題研究協議会常任委員会代表
  • 東社協保育部会講師
  • 著書:「子どもの権利条約と保育」(単著)、「イメージの世界をつくる子どもたち」(共著)、「かかわりを育てる乳児保育」(共著)、「確かな感性と認識を育てる保育」(共著)等