科学するTAMAGAWA 健康な心身をつくる「デンマーク体操」の過去・現在・未来

2011.12.23

玉川学園では心身の健康を保つ基本として、「デンマーク体操」を行っています。
デンマーク人のニルス・ブック氏が考案したこの体操は、
なぜ玉川学園に根付いたのでしょうか。
そして、どんな効果を上げているのでしょうか。
石橋哲成、三橋文子両教授の対談からひもときます。

デンマーク体操の考案者、ニルス・ブック氏

去る12月12日、玉川学園記念体育館前において、「ニルス・ブック像 除幕式」が挙行されました。ニルス・ブック氏は、「デンマーク・オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)」の創始者であり、「デンマーク体操(基本体操)」を考案した人物です。玉川学園では、今から80年前にニルス・ブック氏を日本に招いてデンマーク体操を教育の場に取り入れ、また、オレロップ国民高等体操学校の“東洋分校”として協定を締結しました。その80周年を記念して製作されたのが、この度のニルス・ブック像です。

では、玉川学園はなぜ、またどのような経緯でデンマーク体操を健康教育の一環として取り入れたのでしょうか。そしてその後、デンマーク体操は教育の場でどう生かされているのでしょうか。今回は、玉川学園理事 石橋哲成教授と体育・スポーツ科学センター長 三橋文子教授の対談から、その真実に迫ります。

デンマーク体操導入の経緯

ニルス・ブック氏
(1880~1950)

三橋喜久雄先生
(1888~1969)

石橋: 小原國芳先生が「全人教育」を掲げて玉川学園を設立されたのは昭和4年でしたが、ニルス・ブック氏一行が玉川学園を訪れ、それを機会に玉川学園にオレロップ国民高等体操学校 東洋分校が設置されたのは、その2年後の昭和6年でした。そう考えると、デンマーク体操は玉川学園の歴史と深く関わってきたと言えます。それほどまでに小原先生はデンマーク体操を健康教育の基礎として重んじられたわけですが、その小原先生にデンマーク体操の存在を教えられたのが、三橋先生のお父様である三橋喜久雄先生だと聞きました。

三橋: 新宿の牛込にあった成城小学校、成城第二中学校を現在の地に移転して、成城学園へと発展させられたのは、小原國芳先生ですが、父は縁があって大正14年、成城学園の体育教師になりました。昭和2年12月5日、小原先生は「現在、世界の体育・体操家の中で一番偉いのは誰なのか?」と父に尋ねられますと、父は「それはデンマークのニルス・ブック氏です」と応えたといいます。

石橋: 三橋喜久雄先生がニルス・ブック氏に注目されていたのには、どういう経緯があったのでしょうか。

三橋: 父は、大正3年に東京高等師範学校(現・筑波大学)へ助教授として招聘され、今でいう「指導要領」の改訂に着手していました。当時の指導要領に取り入れられていたのは、19世紀初めにスウェーデンのP.H.リングによって考案された「スウェーデン体操」でした。スウェーデン体操というのは堅苦しい厳格で教練のような動きをする体操でした。例えば、一つの動きが終了すると「やめ」の号令で直立姿勢になり、次の動きが始まるといった体操でした。このようなスウェーデン体操に問題を感じ、日本の学校体育には新しい体操が必要だと考えたのだと思います。

石橋: 三橋喜久雄先生は、新しい体操のあり方を模索されていたんですね。

三橋: はい。東京高等師範学校に勤めていた父は、文部省の留学生として欧米へ3年間体育の研究に出かけました。最後の留学先がデンマークだったのです。そこで出会ったのが、ニルス・ブック氏のオレロップ国民高等体操学校で行われていたデンマーク体操でした。デンマーク体操は、人間の呼吸に合わせたリズミカルな動きを取り入れた躍動感あふれる体操を行いながら、筋力の強化だけでなく柔軟性や巧緻性(機敏性)も向上させる体操です。その動きは心と身体を調和的にし、さらに芸術的なのです。いつも「体操とは、それを行う人も見る人も感動するような芸術性がなくてはいけない」と言っていた父が探求していた真の体育に、ぴったりと当てはまったのではないでしょうか。帰国後、父は小原先生と知り合い成城学園で体育を教えるようになったというわけです。

石橋: なるほど。他方、別の立場から小原先生や三橋喜久雄先生と同じ時期に、デンマーク体操に着目している人がいました。ボーイスカウト日本連盟の常務理事を務めていた平林廣人氏ですが、彼は大正13年に社会教育、農業政策の研究のためデンマークに留学し、そこでニルス・ブック氏と知り合い、デンマーク体操に感銘を受け帰国しています。その平林氏が秋田で行ったデンマークについての講演で、デンマーク体操に興味を持ったのが秋田師範学校教師の斉藤由理男先生でした。斉藤先生はデンマーク体操を学びたい一心で、小原先生と三橋喜久雄先生を頼って成城学園の体育教師に就任。昭和4年玉川学園が設立されると玉川学園の体育教師になり、小原先生の指示で同年6月、ニルス・ブックの元へデンマーク体操を学びに行っています。こうした様々な人々の出会いと強い思いが、デンマーク体操を玉川学園に、ひいては日本全体に根付かせたように思われます。

ニルス・ブック氏一行の来園

東京でニルス・ブック氏を
迎える小原國芳夫妻

ニルス・ブック体操団が
玉川学園で実演

ニルス・ブック体操団

石橋: そして昭和6年の秋に、ニルス・ブック氏一行を小原先生が招聘されるわけですが、当時の文部省は反対していたそうですね。

三橋: 実は、その裏には、最初の計画として昭和3年9月から10月にかけて招聘するよう進めていました。しかし文部省はその当時、スウェーデン体操を中心とした「学校体操要目」を決めており、新しいニルス・ブックのデンマーク体操が日本に来ることを快く思っていなかったのです。そのために、2年先に延ばさなくてはならなくなり、昭和5年に延期することをニルス・ブックに懇請したそうです。けれども、さらに強い弾圧に合い、またもや1年先となり、昭和6年9月やっと招聘が実現されたのです。

石橋: 総勢26名のニルス・ブック体操団が玉川学園に到着し、デンマーク体操を披露したのが9月13日。翌14日に成城学園、15日に自由学園で披露し、その後は秋田から福岡まで日本全国40数カ所をまわり、約40日間に渡って実演と講演を行いました。小原先生は玉川学園のためだけではなく、日本の全国民の健康を願う気持ちから、ニルス・ブック氏を招聘されたのですね。

三橋: そうですね。「学校体操」として迎えることはできませんでしたが、デンマーク体操は人間の体を合理的に動かして健康な身体にするために科学的に裏付けられた優れた体操でしたので、それを学ぼうという学校教員は多くいましたし、海軍、航空隊、国鉄、商船学校などには指導者を派遣して指導してきましたので、日本中にデンマーク旋風を巻き起こしたのです。昭和7年11月から12月には玉川学園で第1回長期体操講習会を開催し、デンマーク体操の指導に務めていました。このようにデンマーク体操を普及させるために玉川の体育指導者は体操講習会で集まってきた多くの人々にデンマーク体操を教えていきました。

全人教育とデンマーク体操の共通点

石橋: 玉川学園は「全人教育」を教育理念として掲げていますが、小原先生は「全人教育とは、真・善・美・聖・健・富という6つの価値の創造」だと言われました。この「健」を実現する手段のひとつが、デンマーク体操の導入だったように思われます。小原先生がそれほどに体操を重んじられたのは、「健康こそ人間の基本であり、それなくしては精神生活も成り立たない」ということを自らの経験からつかんでおられたからです。小原先生は若き日に電信局での激務を体験し、胸を病まれました。しかし、その経験があったからこそ、後に教育の道を志したときに「どうしたら丈夫な体をつくれるか」という問題に真正面から向き合われたようです。

三橋: それは私の父も同じでした。父は、東京に出る前には鳥取師範学校(現・鳥取大学)の教員でしたが、一日の睡眠時間は3時間ほどに削って教員としての資質を高めようと頑張りすぎてしまいました。そんな生活を続けていれば体がおかしくなるのは目に見えています。体調を害した父は、そこではじめて健康の大切さを自覚し、体操に注目するようになったのだと思います。自己の体を鍛えるために体育を勉強しようと文検(現在の保健体育免許資格)を受験したのです。

石橋: 「want」には「欲しい」という意味がありますが、「不足」とか「欠乏」という意味もあります。健康というあたりまえのことが不足してはじめて、人は健康の大切さに気づき健康を欲すということですね。小原國芳先生は、「一病は長寿の基」ということをよく言われました。一度病を経験すれば以後気をつけるようになり、ひいては長寿につながるということです。そういう人間の真理について実感されていたからこそ、全人教育の中に「健」という価値を盛り込まれたのだと思います。

三橋: ニルス・ブック氏がデンマーク体操を「人間形成」のための体操だと考えていたことも全人教育と重なります。例えば、デンマーク体操には一人では養うことのできない心身の体力をつけるための組体操のようなアクロバティックな要素がありますが、それはお互いの力を出し合い協力し合って信頼関係を築いていく体操であり、人と人とのコミュニケーションや心の通い合いを抜きにしてはできません。記録を競ったり肉体を鍛えたりするだけではなく、心身の健康をめざすのがデンマーク体操の本質なのだと思います。

デンマーク体操の現在、そして未来

石橋: ニルス・ブック氏が来日した際、彼は玉川学園の環境や全人教育の考え方に共感したからこそ、玉川学園内に「オレロップ国民高等体操学校 東洋分校」の設置を認可したのでした。そこで始まった玉川学園とオレロップ国民高等体操学校の交流関係は、現在も続いていますが。

体育祭大学男子
による演技

デンマーク体操部OTD章授与式

三橋: はい。玉川学園の多くの体育教員がデンマークへ赴き、デンマーク体操を学ぶ機会にも恵まれています。また、昭和53年には「体操教育交流に関する協定」が新たに結ばれました。オレロップ国民高等体操学校では、卒業者に「Ollerup(オレロップ)」と「Delingsfφrere(社会に奉仕する人)」の頭文字を取ったOD章というものが授与されるのですが、玉川学園ではその間に「TAMAGAWA」の頭文字Tを入れたOTD章を授与できることなどが、そこで再確認されました。今でも玉川大学のデンマーク体操部に所属し、4年間熱心に活動を続け、指導者として認められた学生にはOTD章が授与されています。

石橋: デンマーク体操部の活動以外でも、デンマーク体操は学園全体で行われていると言えると思うのですが。

三橋: 前述の通り、多くの体育教員がデンマーク体操を学び、その有用性を理解していますので、球技や水泳などのウォーミングアップの中にデンマーク体操を取り入れています。また玉川学園の体育祭では幼児から大学生まで各年齢にふさわしい体操のマスゲームを発表しています。その内容はニルス・ブックの基本体操の応用となり、玉川学園に在学するすべての人が、現在もデンマーク体操に親しんでいると言えます。

石橋: 玉川学園の全人教育の一角に、デンマーク体操はしっかりと根付いているというわけですね。では最後に、玉川学園 体育・スポーツ科学センター長として、これから玉川学園はデンマーク体操とどう向き合っていくべきか、聞かせてください。

三橋: 小原先生が健康教育のひとつとしてデンマーク体操を取り入れられたのは、全人教育を全うするための手段を考えられたからだと思います。スポーツはいろいろなものがありますが、必ず勝負がつきものです。目標を達成させるためについて行けずにドロップアウトする子どもがどうしても出てきますし、小さい頃から競技漬けでは、きちんとした体育の機会に恵まれずに育ってしまうこともあるでしょう。それでは心の健康は得られませんし、心が病んでしまえば、身体にも必ず悪い影響が現れます。もっと年齢や心身の発達に合った運動を行うことが大切であり、数多いスポーツをするためにふさわしい強健でやさしく緻密な身体をつくってくれるのがデンマーク体操なのです。こうしたことを玉川学園としてしっかり理解し、子どもたちだけでなく、親にも指導者にも広く発信していくことで、日本人の「生きる力」をもっと高めていかなければと思っています。