科学するTAMAGAWA 植物病の研究により食糧危機を乗り越える

2013.12.25

人口の増大により地球規模での食糧危機が目前に迫っています。
そこで、少しでも多くの植物を収穫するために、
植物に発生する病気を適切に診断・予防・治療する
植物病理学の重要性がますます高まっています。

将来の食糧生産を支える植物病理学

現在の世界人口は約70億人。37年後には92億人前後に達します。それを支える食糧は、現在の1.5倍必要となりますが、地球上の耕地としての利用可能面積はすでに限界に達しており、これからは単位面積あたりの収穫量を高めるしかないと言われています。その主要な方策のひとつが、植物病の被害を抑えることです。

2002年時点での世界の栽培植物の可能作物生産額は1兆5,000億ドル。しかし、実際の生産額は9,500億ドルで、実に約36%もの生産が植物病などで失われている計算になります。
「つまり将来の食糧生産を考えた場合、植物病を診断・予防・治療する植物病理学の研究は急務と言えるのです」と警鐘を鳴らすのは、農学部生物資源学科で植物病理学を専門とする渡辺京子教授です。今回は、植物病理学とその重要性についてお話を聞きました。

植物病理学がカバーする領域

植物病による減収
出典:『植物医科学』(2008)養賢堂

野菜が腐ったり傷んだりする、庭の生け垣が枯れる、家庭菜園で野菜が穫れないなど、植物病は私達の身の回りにも多く存在します。「植物病の原因は、肥料・水の不足や不適切な温度管理による生理病であることも考えられますが、その何割かは病原体が植物の中に進入することで起こる微生物病です。この生理病と微生物病によって失われる生産額は全体の約14%、実に約8億人分、現在の飢餓人口の食糧に相当します。したがって、ある植物病が生理病なのか微生物病なのかを診断し、微生物病であるならば適切に防除(生物による害を防ぐため、その侵入を防いだり・排除したりすること)する方法を研究することはきわめて重要になります」と話します。
それを総合的に研究するのが植物病理学という学問分野です。わかりやすく言うと、人間における医師、動物における獣医師と同様、植物における“お医者さん”だと言います。「植物病理学が扱う領域は非常に広大で、新しい病気を見つけたり病気かどうかを診断したりする臨床領域、農薬の新しい手法を探る薬学的な領域、そして分子生物学の手法を用いて病気になるメカニズム自体を探る領域があります。いずれにせよ、最終的には植物病を防除し将来の食糧生産に新しい活路を見出そうというのが植物病理学の目的です」。

具体的な研究手法

では、植物病理学の研究は具体的にどのような手法で進めるのでしょうか。渡辺教授は次のように説明します。「まずは、植物病の原因となる病原体を突き止める必要があります。そのために、植物病にかかっている植物を良く観察するとともに、そこから微生物を分類・培養し、それを健康な植物に接種し、同じ植物病が発現するかどうかを調べます。もし発現したとしたら、その微生物こそが病原体となります。しかし、この段階では微生物がなんなのかまではわかりません。そこで次の段階では微生物の形態を観察するとともにDNAを抽出・ 解析することで、その微生物を特定します。植物病は未だわかっていないことも多く、新病害や新種のカビが見つかることも少なくありません。実際、研究室の学生が新病害を発見したり、玉川大学の敷地内から新種のカビを採取し、報告したり、論文を投稿しています」。

さらに、どうすればその微生物が引き起こす植物病を防除できるかを考える必要があります。「方法は色々あり、例えば農薬ひとつをとっても化学農薬だけではなく、バクテリアやカビなどを利用した微生物農薬も近年では使用されています。これには、バクテリアやカビが植物上の表面を専有することで病原体の侵入を阻止するものや、植物の抵抗性を高めるもの、病原体に寄生して直接攻撃するものなどがあります。ひとつ知っておいていただきたいのは、農薬と聞くと人体や環境に悪影響を及ぼすとイメージする人がいるかもしれませんが、実は無農薬野菜に毒を生産する微生物がいる可能性もありますし、植物病にかかり、そこを伝染源にして植物病が農地など広範囲に広がるという事態が実際に起こっています。したがって、人体や環境への影響を考慮しながらも、適切に農薬を使用することは非常に大切なのです」。

研究の苦労とやりがい

植物病理学はアメリカなど農業大国においてはひとつの学科を構成するほど大きな研究分野ですが、日本ではあまり脚光を浴びません。その要因のひとつは、植物が病気になるという事実があまり知られていないからだと話します。「日本では食べ物に不自由することはほとんどないため、植物病に対する一般の注目度が低いのかもしれません。農業を学ぼうとする学生も栽培には強い興味を示すのですが、防除まで考えが及ぶ学生は少ないようです。これに対しては、植物病理学を研究する私達がその重大さをもっと広くアピールしていくべきなのかもしれないという反省もあります」。

もうひとつの理由として、研究そのものの大変さもあると渡辺教授。「例えば私達は微生物のサンプルを採取しにあちこちへ出かけたりもしますが、微生物ですから“何かを捕まえた”という実感があるわけではありません。何百というサンプルを採取し、それを培養・特定してはじめて、目的のものが採取できていたかどうかがわかります。採取したサンプルの99%は失敗です。それにめげずに続けられる人でないと、植物病理学の研究に携わることは難しいかもしれません」。

その反面、見たこともない病原菌を発見したときの驚きや、実験が思うような結果を結んだときの喜びは他に代え難いものがある、と続けます。「農家の方や八百屋さんは私達の研究に本当に期待を寄せてくれ、“がんばってください”と声をかけてくださいます。実際、もし広まってしまったら日本中から特定の植物が全滅してしまうほど致命的な植物病もあります。それらを食い止めるという意味では、植物病理学者には社会的に重大な責任があるわけです。その分、やりがいも大きい仕事だと思いますよ」。

世の中のためになる研究を展開したい

ベトナムにて微生物の採取に取り組む

植物病理学の認知度がまだまだ低い日本ですが、新しい動きも出てきているようです。「植物病の診断や治療を行う植物病院・植物クリニックが、いくつかの大学で設置されはじめています。また、文部科学省が高度な科学技術の応用能力を備えていることを認定する技術士の資格に、『植物保護』の部門が設置されました。この資格を取得した人たちが増えていくことで、植物病の防除に大きな役割を果たすことが期待されています」。

そして、教授個人としては、より社会に貢献できる仕事に力を入れて生きたいと語ります。「蓄積してきた研究の成果を論文で発表することも大切ですが、それよりも世の中のためになることに、自分の能力を生かしていければと考えています。例えば、新興国の食糧確保に貢献することも大切です。実は先日2週間ほど独立行政法人 製品評価技術基盤機構との共同事業でベトナムを訪れ、ベトナム国家大学ハノイ校の方と一緒に微生物の採取・分類を行いました。日本以外の国の微生物の特性を知るという意味もあるのですが、実際に現地の農業に役立てられればという思いもあります。そのため、近々ベトナムを再訪し、現地の農業に役立つようセミナーも行う予定です」。

「一方、日本では植物工場など新しい農業の方法が始まっており、玉川大学でも水耕栽培によるレタス作りが行われています。植物工場ではクリーンルームで野菜栽培をするので一見病気にならなさそうですが、そういう植物は抵抗性がなく、これまでの植物病理学の範疇にない病気になることがあります。新しい野菜を栽培する準備段階では、この問題をクリアする必要があります。このような新しい分野への研究も進めていき、世の中に役に立っていければと考えています。可能であれば玉川大学内に植物クリニックを設置し、そこで診断や治療に当たることで、広く一般の方々に植物病や植物病理学の重要性について普及していければいいですね」。