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教育学部健康教育研究センター主催のシンポジウム、「パラリンピアンが想い描く東京2020」が開催されました。

2017.01.11

12月3日(土)、玉川大学教育学部健康教育研究センター主催による第4回シンポジウム、「スポーツと教育 パラリンピアンが想い描く東京2020」が開催されました。2020年に東京で行われるオリンピック・パラリンピック。素晴らしい大会にすると同時に、世界に向けて成熟国家であることを示すことも、大切な使命の一つといえます。実際にはさまざまな分野において、まだまだ対応すべき課題が残っています。今回のシンポジウムでは、先日のリオデジャネイロで開催されたパラリンピックのメダリストである木村敬一選手をお招きし、障がい者スポーツの現状や支援の重要性を語っていただくことになりました。当日はリオデジャネイロ大会の自転車競技で銀メダルを獲得したパラリンピアン、鹿沼由理恵選手にもご登壇いただく予定でしたが、手術のため不参加に。首都大学東京の教授であり、玉川大学でも教鞭を執る舛本直文先生にもご登壇いただきました。

まずは舛本先生が登壇し、パラリンピックの歴史、パラリンピックのマークに込められた意味から三つのコンセプト、さらに四つの価値(Detemination=決意、Counage=勇気、Equaity=平等、Inspiration=感動・鼓舞)などについての説明がありました。また、1964年の東京オリンピックで初めて「パラリンピック」という言葉を使ったことから、2020東京大会でのパラリンピックはさらに意義あるものになるであろうとお話しくださいました。また、さまざまな視点からパラリンピックのあり方などについて、問題定義もいただきました。次に木村敬一選手による講演が行われました。木村選手は北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続でパラリンピックに出場した競泳選手。特にリオデジャネイロ大会では2個の銀メダルと2個の銅メダルに輝き、日本人最多のメダリストとなりました。この日は「私と水泳との出会い」というテーマでお話しいただきました。

生まれつき目が不自由であった木村選手ですが、身体を動かすことは大好きで、怪我の絶えない少年時代だったそうです。そこで木村選手が10歳の頃にお母さんから薦められたのが水泳で、近所の水泳スクールへ通うようになりました。「皆さんがスクールで子供を受け入れる側だとして考えてほしいのですが、私のように目が見えず、水泳の経験もなかった子供が入会したいと言ってきたらどうでしょうか? 普通であればかなり心配になると思うのですが、そのスクールは受け入れてくださったのです。それだけでなく、私が泳ぐときにはコーチを1名増やして面倒を見てくれました」。大きくなってから同じように目の不自由な競泳選手に話を聞いたところ、ほとんどの選手が子供の頃にスクールに入会させてもらえなかった経験があったそうで、「そういう意味で、僕は幸運だったと思います」と木村選手。こうしたスクールの姿勢は、参加した教育学部の学生にとっても考えるきっかけとなったのではないでしょうか。

また、中学、高校と特別支援学校で学びながら水泳部に所属していた木村選手ですが、大学進学後は健常者の学生で構成された水泳サークルに入ったそうです。「中学生の頃から世界大会などに参加していたこともあり、学校内の部活動だと競い合えるような仲間がおらず、常に一人で練習をしていました。けれども大学入学後は一緒に泳ぐ仲間ができ、運動の楽しさを知ることもできたと思います。仲間がいればきつい練習も頑張れる。仲間の大切さを実感しました」。
そしてパラリンピックに出場した感想については「最初の北京大会では、出場するだけで達成感を得てしまい、思うような結果を残すことはできませんでした。ロンドン大会ではメダルも取りましたが、メダルを狙える種目では本来の力を出すことができず、きちんとコンディションを整えてくる一流選手との差を実感しました」と木村選手。こうした経験を経て、結果が出ないときでもそれを引きずらず、気持ちのスイッチを切り替えられるようになり、それが4個のメダル獲得につながったそうです。

3大会に出場して、障がい者スポーツを取り巻く環境の変化についても肌で感じているという木村選手。「リオデジャネイロ大会でも、これまでにないほどパラリンピックをメディアに取り上げてもらったと思っています。オリンピック選手と合同でイベントに参加する機会も増えましたし、練習環境も格段に整備されました。ただ、そうやって注目されるのは、まだまだトップレベルの選手だけなんですね。これからは、トップをめざす過程においても環境を整えていくことが重要になると思います。僕自身、玉川学園の屋内プールをトレーニングに使わせていただくなど、大変お世話になりました。これからも選手に対するご支援を、よろしくお願いします」。

シンポジウムの最後には、舛本先生と木村選手による対談が行われました。リオデジャネイロ大会における競技面でのサポートについて舛本先生が尋ねると、木村選手は「もっとも大きかったのは、ハイパフォーマンスセンターを設置してもらったことです。この施設は日本人選手を対象に、食事面の支援やマッサージなどを行うことを目的に、選手村の近くに設置された施設です。2020年は東京開催ということで日本人選手の環境は整備されると思いますが、外国人選手にとっても過ごしやすい環境を整えてもらいたいですね」と語ってくれました。特にパラリンピックに関しては選手一人ひとりの状況も異なるので、細やかなケアがあるといいということでした。

シーズンオフの現在、木村選手は障がい者スポーツへの理解を深めてもらうため、小学校や中学校で出前授業を行う「夢・未来プロジェクト」に取り組み、多くの学校を回っているそうです。「僕らパラリンピアンと授業で接するだけでなく、実際に競技会場へと足を運んでもらいたいと思っています。東京大会では共生社会の実現を謳っていますが、僕たちの競技を見てもらい、障がいへの理解を深めてもらうことが、そうした社会の実現にも役立つのではないでしょうか」という言葉が印象的でした。また舛本先生からは「近年のオリンピック・パラリンピックでは、文化プログラムも充実しています。そしてそれらのプログラムは、何より選手の皆さんに見てもらうことを目的に開催されています。東京大会では競技と同時に、ぜひそうしたプログラムも体験してもらいたいと思っています」と、木村選手にエールが送られ、シンポジウムは終了しました。

シンポジウムに参加した学生たち(教育学部3年)からは、「子供たちにパラリンピックの面白みを伝えるには、まず教師自らが興味を持たないといけないと感じた」、「障がいのある方と接する機会は学校に限らずあると思うので、そういうときにきちんと支えることのできるようになりたい」、「教員になる前に別の仕事に就き、オリンピック・パラリンピックに関わるという道もあるのではないかと思った」、「パラリンピアンである木村選手に直接お目にかかり、お話も伺ったことで障がい者スポーツについて知ることができた。こうした機会を子供たちも持つことが、理解につながっていくのではないか」といった感想が聞かれました。

2013年9月の開催地決定から今日まで、約3年半の月日が流れましたが、同じ程度の日数で2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会が開幕します。オリンピアン、パラリンピアンの選手の皆さんにとってこれからの一日々々が非常に重要になるのと同様に、世界中の方を迎える私たちにとっても、オリンピック・パラリンピックに関わる、またとない機会になります。今回のシンポジウムは、そんな「気付き」を与えてくれる絶好の機会となりました。

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