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「戦後70年 写真でみる混迷期の玉川学園」展が語るもの

2016.01.14

11月7日、8日の玉川大学コスモス祭期間中、玉川大学教育学部全人教育研究センター主催により、「戦後70年 写真でみる混迷期の玉川学園」展が小原記念館で開かれました。玉川の歴史を示す写真40点の展示、さらに創立者・小原國芳に関する映像も上映し、大勢の来場者でにぎわいました。

戦後70年の節目に、戦前・戦中の「玉川学園の教育」を探る写真展

2013年4月に発足した玉川大学教育学部全人教育研究センターは、「玉川の教育」の根幹が何であるかを見極め、その教育を推進するとともに、現代の教育における課題解決への糸口を探って、「教員養成の玉川」として世に提言を発していくことを目的にしています。
昨年のコスモス祭(大学祭)は、玉川学園設立前後に焦点を当てた「写真と映像で体感する創世期の玉川学園」をテーマにした写真展を開催。2回目の今年は、戦後70年の節目にもあたることから戦前・戦中の玉川学園を探る企画としました。
小原記念館の広い応接室に展示された写真は40点。卒業生や在校生、コスモス祭にいらした一般の方々も含めて、写真一枚一枚を熱心に見ていました。

写真から浮かび上がる、戦時下でも変わらない「玉川学園の教育」

この写真展開催に尽力した教育学部全人教育センター副センター長・佐久間裕之教授、同センター・白柳弘幸研究員、加瀬元博研究員の3氏から話を聞きました。
白柳研究員は、「玉川学園創立50周年誌を発刊した際は、写真資料を数千枚集めて、その中から選びました。今回は50周年誌に掲載されていない写真で、しかも玉川の教育がわかるものをセレクトしました。戦前から戦中の玉川学園は苦労しながらも、前を向いて『玉川の教育』を推進していたことを知っていただきたかったのです」と話します。

佐久間教授は、「玉川学園には膨大な資料が残されていますが、その整理・研究があまり進んでいないのが現状です。写真展を機に、卒業生からの写真提供や、実際に写真に写っている方の証言をいただき、研究が進展することを期待しています。また、今回展示した写真は戦前・戦中の世相を反映した軍事教練などもありますが、男子の『玉シャツ』、女子のスカート着用や総合学習に取り組んでいる昭和16年から18年のシーンなど、時代の大きな波に巻き込まれながらも、玉川らしい『新教育』が生き続けていたことは非常に興味深いことです」と、数々の写真が伝える玉川学園の教育について語りました。

希少な一枚としては、“学内での軍事教練 落下傘降下練習(昭和16年)”の写真です。現在の経塚山の自然の地形と立木を利用して落下傘降下台を設置。降下台の建設などは生徒たちの労作によるものです。“勤労動員“の一枚は、働き先で自由研究のテーマを見出しており、戦時中であってもぶれない玉川学園の教育の一端がうかがえます。
写真の解説を担当した加瀬研究員は、「戦時下の国策を強制される中、落下傘の降下練習や勤労動員にも、オヤジ(玉川学園創立者・小原國芳)は教育的な意味を見出しています。改めてすごい教育者だったと、驚嘆させられます」と話しました。

来年の開催については「『戦後の新制玉川学園』をテーマに構想中」(加瀬研究員)とし、「オヤジは、昭和20年に早くも教育研究会の開催を計画。時期尚早とする職員の反対を押し切って開催すると、全国から先生方が集まった。『戦後の復興は教育から。国がやらないなら俺がやる』とした、オヤジが貫き守り続けた『玉川の教育』をご紹介したい」(白柳研究員)、「日本の教育史において重要な1ページをご覧いただけるでしょう」(佐久間教授)と期待が膨らむ言葉がありました。

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