高平小百合先生コラム3:賢さの差(違い)の考え方

2018.10.08

90年代半ばのアメリカで「Bell Curve」(1994)という本が出版されました。タイトルのベル・カーブとは、「正規分布」という意味です。正規分布とは、統計学で用いられる分析のための理想的分布のことを指します。また、研究対象の人数が充分に大きくなると 、その分布は正規分布になるであろうと考えられています。知能テストが行われていたアメリカでは、知能の分布が人種によって異なるのではないか、という仮説が一部の研究者から提唱されるようになっていました。それを裏付ける重要な証拠として、この本が書かれたのでした。

要するに、知能の分布の上位には白人が多く、黒人のほとんどは分布の下位に属していたのです。また、学校の成績も知能テストと相関が高く、黒人の子どもたちのほとんどは下位に属していました。これらのことから、著者らは、人種によって知能に偏りがあるのではないか、それは、人種によって生まれ持った特質が異なるからではないかと結論付けたのでした。

今では、そのような仮説は一笑されてしまうと思われますが、当時はこの本が大きな論争を呼び起こしました。それでは、なぜ、黒人の子どもたちは知能テストも学校の成績も低かったのでしょうか?アメリカの大都市に住む黒人の多くは公営団地のひどい環境の中で暮らしていました。薬物やアルコール中毒の親を持つ子供たちは、もの心着くころから、自分で食べ物を探してこなければ生きていけないような状況の子ども多くいたと言われています。また、未成年で未婚のまま子どもを産み、シングルマザーとして子どもを育てている女性も多くいました。そのような女性は経済的に不安定なこともあり、生まれた時から安心できる場所がない子どもが多いのが実情でした。 そのような環境で育った子供は、幼いころから自分で生きていく手段を見につけねばなりませんでした。危険な路上(ストリート)でいかに自分の身を守り食べ物を手に入れ生き延びるかということに知能のすべてを使ってきた子どもにとっては、学校での学習や成績はあまり価値のないものでしょう。学校の勉強はほとんどしないために、成績は悪いまま義務教育を終えることになります。しかしながら、路上でいかにうまく生き延びるかという知恵・知能(ストリート・スマート)は、非常に高いと考えられます。スターンバーグは、そのような知能を理論化し、文脈的知能と名付けたのでした。それは、人の知能が学校の成績や IQテストだけで測れるものばかりではなく、自分の身を守り現実世界でうまく生き抜くために必要な重要な知能があり、多くの貧しい環境にいる黒人の子どもたちは、その知能に優れていることを示したのでした。人は自分にとって価値のないものは学ぼうとはしません。おかれている環境や社会によって、私たちはどの知能を使うか、あるいはどの知能を伸ばす価値があるかが決まってくるのかもしれません。

参考文献

Herrnstein, Richard J.; Murray, Charles (1994). The Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life. New York: Free Press