森山先生:教師と感性Vol.1:心に残る教師の一言

2015.07.15

毎年四月に、大学院教育学研究科および、教育学部で学ぶ一年生に対して、「心に残る教師の一言」について自由に書く機会をつくっています。これをはじめたきっかけは、私が大学で教育学の専門科目である「教師論」の講義を担当することになったことにあります。
したがって大学教員のかけ出しの頃からはじまり、今では二十年弱続いています。
ここで教育学を学ぶ、特に将来、教師を職業として希望している大学院生、大学生があげた「心に残る教師の一言」は、それぞれが小学生時、中学生時、高等学校時とさまざまです。今にあっても教師から示された一言で心に残っている言葉は、「なぜその教師の一言が心に残っているのか」という理由に焦点をあてると傾向がはっきりみえてきます。
一つは、「よく頑張ったね。」、、「あなたなら出来るよ。大丈夫だよ。」、、「この学級の担任だったことが本当によかったことだよ。ありがとう。」、、「○○さんは小学校の先生にぴったりだね。」、、「やればできるじゃないのーー。」、、「高校受験合格おめでとう。先生も心から嬉しいよ。」、、「「「(クラスが体育祭で優勝したときに)おめでとう。皆さんの頑張りが最高でした。」、、「先生は君たちの大変さもよくわかっているつもりだよ。最後までしっかりと応援するから、恐れずに頑張れ。結果は必ずついてくるから。」、、「(卒業式当日の言葉の一つとして)俺より先に死ぬなよ。これから君達には無限の可能性がある。自分を信じて前に進め。」・・・・・といった一言です。
二つは、「お前はクラスのガンだ。」、、「受験したってどうせ君は落ちるよ。」、、「いまさら頑張ったって、どこにも入れないよ。あきらめろ。」、、「うちの学校じゃ○○大学は無理にきまっている。」、、「君の能力ではこの程度のレベルの低いところでなければ無理だね。」、「先生は先生になりたくって先生になったわけではない。」、、「最悪だな。こんなクラスの担任にさせられて。」・・・・・といった一言です。
このように、教育学を学ぶ、将来、教師を目指す大学院生や大学生が、これまでの幼、小、中、高校といった長い学校生活を通して教師からかけられた言葉には、「良い意味で心に残っている教師の一言」と、「悪い意味で心に残っている教師の一言」の二通りがはっきりと出てくるのです。
私は、このような「心に残る教師の一言」を通して、その教師がどのような視点から、児童生徒を見ているのか、ということを理解することができます。つまり、どのような視点からの見方に基づく教師の言葉が、児童生徒の心に残るのかということが浮き彫りにされるわけです。
したがって、このことをもう少し掘り下げてみると、児童生徒が教師から「認められた」、、「分かってもらえた」、、、「理解してくれた」と感じられる言葉は、良い意味での児童生徒の心に残っている教師の一言であり、他方、児童生徒が教師から「認められない」、、、「分かってもらえない」、、、「理解してもらえないと感じられる言葉は、悪い意味で児童生徒の心に残っている教師の一言であるといえます。
私自身の「心に残る教師の一言」についてあげてみましょう。そこでは、私が中学校二年生のときの担任の先生の一言が今でもすぐに思い浮かびます。
私は小学校の頃から大の動物好きで、自分の家で多くの種類の動物の飼育をしていました。何かの折に先生との話の中でこのことが話題になりました。ほとんどの先生が深い関心を持つことはありませんでしたが、この担任の先生は、事あるごとに生き物の話、チャボの話をしてくださいました。ある日、先生のご自宅でも先生のご主人が色々な種類の鳥を飼育されているということが話題になりました。
その時に先生が次のような一言を述べました。
「今度、森山君にうちの珍しいチャボをプレゼントするよ。先月ふ化したばかりで、まだかわいい子どもだよ。このかわいい子どもも森山君のところで飼ってもらえたら幸せになるね。」 すると次の日、先生は学校までバスで通勤しておられたようですが、大きなダンボール箱にチャボを入れて学校まで持ってきてくださいました。「森山君、放課後、私のところに来てね。」と言われたので先生のところに向かうと、五羽のヒヨコを私に手渡してくれました。まさか、先生がヒヨコを本当に学校にまで持って来てくださるとは思いもしませんでした。今では、考えられないことです。当時の学校は現在と比べたらはるかに穏かだったと思いますが、それにしても驚くべきことです。
私は先生が「森山君のところで飼ってもらえたら幸せになるね。」と言ってくださったことを大変嬉しく思いました。この一言は私のことを先生が表面だけではなく、また学力的側面だけではなく、人間的に見てくれたんだと思う一言でした。
まさに先生は私のことを全面的、絶対的に認めてくださり、当時私の持っていた興味、関心をも最大限に引き出してあげようと考えておられたのだと思います。
この先生との出会いは、私のその後の人生、さらに直接的には、現在の研究領域の一つである教師教育学研究に影響を及ぼしていると思います。
感性とは周囲の環境から直接的に何かを感じとって心が動いていく、心が動く働きと捉えています。感性は敏感で、いい反応をしたり、あるいは不思議さや面白さに気付いたり、感動したりすることに繋がっていくものです。したがって、どのようなものに感性をもっていくかというのは、人によって異なっているわけです。つまり感性はどのようなものを選択するかによって大きく変わってきますし、最も瑞々しいのは子どもの頃において非常に重要に関わってきます。
近年、学校教育においても「豊かな感性を育てる」ということがよくキーワードになっていますし、さまざまな学校教育の中での教育目標や重点課題の中でも「心豊かな人間性と感性を育む」とか「豊かな感性を育む体験的学習」などとして強調されています。
実際の学校教育において直接的に児童生徒にかかわるものは教師です。言うまでもなく、学校教育における教師の役割は過去においても、現在においても、これからも大きいものがあります。
ここで紹介しました「良い意味で心に残る教師の一言」はまさに、心豊かな人間性と感性あふれる教師の姿そのものなのです。