近藤先生Vol.8:いじめ解決の定義について(2)求められる「教育としての解決」

2017.02.21

前回のコラムでは、子どもたちの人間関係の中で生じるいじめが見えにくく、大人達の知らない間で深刻化したり、一見解決したように見えても違った形で再発したりすることがあることに触れました。そして、十分な解決に結びつかなかったいじめが、子どもの自殺や深刻な不登校状況などにつながってしまうことを指摘しました。

このような子どもたちの不幸な状況をつくらないために、「これでいじめは解決した」と自信をもっていえる状況をつくることが求められます。それは教師や保護者だけでなく、子どもたち自身が心からそのように感じ、そう認識できている状況をつくりだす必要があります。

このコラムでは、発生したいじめに対して、どのように相談や指導を行って解決を図っていくかについては取り上げません。ここでは、子どもたちや教師・保護者が「いじめは解決した」と自信をもって言えるようにするには、どのようなことを達成する必要があるかを示して、いじめの「教育としての解決」の定義を明確にしたいと思います。

「教育としての解決」を考えるうえで重要な視点があります。それは、いじめが子どもたちの取り結んできた人間関係によって生み出された問題であることです。加害・被害双方の子どもたちが築いてきた人間関係、さらには、観客・傍観者という役割を担う子どもたちも含めた集団内の人間関係の質に根ざす病理がいじめです。いじめは人間関係の質、つまり「関係性の病理」といえるのです。

「関係性の病理」という点をふまえ、いじめの「教育としての解決」を定義すれば、次の①~④になります。

定義の①

当該案件に対する多様な教育活動によって、加害行為が完全に停止し、加害側からの謝罪と必要な弁済が行われて被害者の権利回復が図られること。さらには、加害側に対しその行為に応じた社会的責任を自覚させる指導や措置が行われ、いじめ行為を二度と行わない旨の誓約が加害側からなされること。

定義①は、事後の措置や指導として通常なされることだといえますが、この段階で教育活動が終わってしまったとすれば、いじめの解決としては十分とはいえません。この段階に加えて、いじめが「関係性の病理」であることから、以下の定義②〜④に示した子どもたちの人間関係へのアプローチとその成果が求められます。

定義の②

加害・被害を問わずいじめにかかわったすべての子どもが、いじめに至った人間関係の変遷を振り返り、自分の果たした役割や課題を自覚し、自己認識を新たにすること。

定義の③

その新たな自己認識に基づき、いじめを二度と起こさないため、今後の人間関係の具体的なもち方について、子どもたち自らが相互間で必要な約定を交わすこと。

定義の④

この約定に基づき、子どもたちが人間関係を再出発させ、情緒的に健康で安定した学校生活が送れるようになること。

いじめにかかわったすべての子どもについて、「人間関係の変遷」の振り返り、自己の「役割や課題」の自覚、それぞれの「自己認識を新たにすること」がなされなければ、「関係性の病理」であるいじめの解決は望めません。その「新たな自己認識」が「人間関係を再出発」させる道を拓く力となります。これにより学校生活が再びスタートして「教育としての解決」が次第に形づくられていくのです。この道筋では、教師や保護者など関係する大人たちの取組が大きな支えとなります。しかし、それだけではなく、子どもたちの中に自ら人間関係を改善しようとする解決への力が芽生え、逞しく育っていくことが望まれます。こうした地道な育成の過程で、子どもたちはいじめという病理を乗り越え、成長への糧を得て、健やかに成長していくのです。