山口先生:授業デザインのABCVol.4:完璧なプログラムはありえない

2012.05.28
山口 栄一

授業プログラムを作成するためには、授業の仮説にあるように、学習者についての理解、教育方法についての理解、そして、目標となる教科領域についての理解が求められます。これらの交差するところが教材研究ということになります。子どもたちが興味、関心をもって取り組める授業をつくるためには、よい教材が必要となります。また、「わかる」ためには、興味、関心がなによりも必要ですから、ここにもっとも苦心すべきで、それは教師に、教科への深い理解と、子どもがどうわかっていくのか、を理解する力を求めることとなります。これがベテラン教師のほうが授業がうまい確率が高い理由でもあります。
しかし、だれもが興味、関心をもつ教材やプログラムがありうるのか、ということも考えなければなりません。これは、どんな患者にも効く薬があるのか、という問いに似ています。だれにも効く薬がないように、だれもに適したプログラムはない、ということです。授業のデザインでは、プログラムのよしあしを検証するためには、たとえば、「70%の学習者が、80%以上正答する」と書きます。これは学習者の70%が目標に到達すれは、このプログラムをよいとしよう、と決めることです。70では少ないなら、95%でもかまいませんが、いずれにせよ、100%を設定しないのは、現実的ではないからです。
これは、プログラムをさらに修正すべきか、あるいは、採用すべきかを判定するもので、では、到達しなかった30%、5%の学習者は無視してよい、ということではありません。あるプログラムを採用すべきかどうかは、お医者さんがその薬を投与すべきかの判定に似ていて、それぞれの学習者の特性にあわせ、それに適したものを用いればよい、ということです。患者や学習者を理解せずにマニュアルに従うのは、やぶ医者、やぶ教師だということになるでしょう。