松本先生Vol.2:「国語人」としての私(2)

2015.07.03

卒論は、ロラン・バルトの物語論を援用して国語教育の実践記録本を分析するという奇妙奇天烈なものでしたが、先生は大目に見てくれました。大学院進学を考えていたものの、さまざまな事情により、地元栃木の高校教師として現場に出て行く私を、「一度現場に出るのもいいでしょう」とあたたかく送り出してくれ、ご自宅での送別の宴の席で日本国語教育学会への入会をすすめられ、そこから私の「実践研究」が始まりました。
「国語人」というようなことを国語教育の実践家や研究者は言うことがあります。国語教育に深い愛情を注ぐ業界人みたいなことばで、やや古色蒼然の傾向はあるものの、「国語人」として認められることが、目標になったりしたわけです。この頃はあまりそんなことは言わないのですが、まあ私も「国語人」への一歩を踏み出したわけです。
勤務先は商業高校でした。国語の授業にそんなに興味があるわけでもない生徒を相手にいろいろと奮闘していました。そして仲間を集めて、高等学校における授業研究団体 Groupe Bricolage グループ・ブリコラージュを立ち上げました。レヴィ・ストロースの用語をグループ名に選んだのは、教師の仕事が目の前の授業に対して、持ち合わせの材料を駆使して工夫する「日曜大工」「器用仕事」そのものだなと感じたからです。この研究会は今も続いていて、2年目から年1回発行してきた「紀要」は現在32号までになっています。