山口先生Vol.2:素人の母親vs専門家の父親

2015.11.13

わが家では、母親が子どもの勉強をみています。それは、「父親は社会でしごとをし、母親は家庭で子どもの世話をする」ことを当然とする考え方によるものではありません。子どもにとって、母親に勉強をみてもらうことがもっとも大切で望ましいという考え方によるものです。確かに、多くの母親は勉強を教えるということについては、素人であると言えるでしょう。わが家でも、子どもに勉強を教えている母親は、けっして成績が優秀であったわけではなく、塾や家庭教師の経験もありません。私はむしろ、そうであるからこそ、母親に子どもの勉強をみて欲しいと思っています。
子どもの勉強をみるときに、もっとも重要なことは、専門的な知識・技術ではありません。それは、子どもの可能性を見抜き信じることであると私は考えています。専門的な知識は、ときに子どもの可能性を否定するものとなります。テストの点数や偏差値などの客観的なデータは、子どもの可能性に疑いの目を向けてしまうきっかけとなります。こうしたものに左右されず、子どもを信じ続けるためには、子どもとの直接的な関わりをもつ以外にありません。子どもが生まれて以来、母親と父親のどちらが子どもと直接的な関わりをもってきたのか。子どもがとちらと直接的な関わりをもとうとしているのか。そのように考えると、私はとうてい、母親にかないません。
かつて、わが家の消しゴムには、マジックで顔が描かれていました。それは、( ̄ー ̄)のようなシンプルなものでした。はじめて見たとき、専門家であるはずの私は、不覚にもそれを子どものイタズラであると考えてしまいました。子どもたちを信じることができなかっただけでなく、その意味を見抜くこともできなかったのです。