山口先生Vol.4:勉強をみることのほんとうの意味

2015.12.03

科学技術の発展の著しい現代において、子どもたちに信じることを教える機会はますます減少しつつあります。しかし、信じることを前提としなければ、子どもたちに勉強を教えることはできません。何もかもが信じられなくなれば、生きていくことすらもできなくなるでしょう。幼い子どもたちは、疑うことを知りません。おとなのことばに素直に耳を傾けます。「痛いの痛いのとんでいけ~」という母親のことばは、子どもの痛みを消し去ります。子どもたちは、もしかすると、信じることが自己の成長に不可欠であることを知っているのかもしれません。
子どもたちの勉強をみることのほんとうの意味は、彼らが人間的な成長を遂げていくための本質的なことがらに触れさせることにあります。それは、忍耐や勤勉、誠実、熱心など、人間としてよりよく生きるための基礎となるものを子どもたちにとってあたりまえのものにしていくことであると言うこともできるでしょう。学校の勉強についても同じことが言えます。小学校学習指導要領解説のなかで、「各教科等の目標に基づいてそれぞれに固有の指導を充実させる過程で、道徳性が養われる・・・」と述べられているのは、勉強を通して学ぶことが勉強の内容だけではないことを示しています。
ペスタロッチーの主著『ゲルトルート教育法』には、「愛と感謝と信頼と従順との最初の芽ばえは、母親と子どもとの間の本能的な感情の単なる触れあいの結果である」と言う文章があります。教育という営みが何らかの教育関係の成り立ちを前提とするものであり、子どもとの直接的な触れ合いが彼らの成長の基盤となる信じることを教える機会であることを、私たちは今一度心に留めておく必要があると思います。