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一画多い「夢」

2016.09.05

大きな夢を、一つでも多くの夢を

この「夢」の文字は、“夕”の部分が一画多くなっている。玉川学園創立者小原國芳は、一画多い夢の文字に「大きな夢を持ってほしい」「一つでも多くの夢を持ってほしい」という願いを込めていた。

小原が生涯最も多く書いた書の一つが、この一画多い「夢」の文字。
「私の最も好きな言葉にVision(幻)という言葉と、Dream(夢)という言葉がある」と小原は書き残している。

小原は、高校、大学の卒業生全員に色紙あるいは
掛軸を贈っていた。(写真は1971年に撮影)

なお、鹿児島県南さつま市坊津町久志のお墓の入口には石碑が建っており、表には「新教育の開拓者小原國芳 信子ここに眠る」、裏には一画多い「夢」の文字が大きく彫られている。お墓は、小原誕生の地から徒歩約8分(約700m)の久志漁協の裏の高台にあり、海に向かって建っている。

<参考>

小原は大きな夢をたくさん抱き、その実現に向けて取り組んでいった。たとえば、その夢の一つが学園の建設。
成城学園の誕生

小原が牛込原町にあった成城小学校の主事として、1921(大正10)年8月に「全人教育」を提唱した翌年の4月、成城小学校と同じ学風をもった成城第二中学校を新設した。しかし、その翌年、関東大震災が起こった。そこで郊外に移転地を探すことになった。小原は今の成城学園がある当時の北多摩郡砧村喜多見の高台の土地を購入。その際に小田急電鉄に対して、土地購入に協力し、駅名を学校名と同じにすることと、急行電車を停めるということの二つの約束を取り付けた。さらに小原は購入した土地145,000平方メートルのうち、50,000平方メートルを学校の敷地として寄付し、残りの95,000平方メートルを住宅地として売却し校舎等の建設の資金とした。こうして成城学園が誕生した。

玉川学園の誕生

やがて成城学園に旧制高等学校ができると、帝国大学への入学を前提とした受験教育になっていき、小原の理想としていたものと離れていった。調和のとれた人間形成を目指す学校を自らの手で一からつくり直したい。小原が「夢の学校」建設に着手したのは、成城高校の校長を務めていた42歳のときのことだった。小原が理想としたのは、「宗教を教育の根底におくこと」「労作教育の使命を果たすこと」「徹底した真人間の教育を行うこと」を重んじた教育。そして、1929(昭和4)年に玉川学園が誕生し、小原の描いていた夢の学校が現実のものとなった。

参考文献

小原國芳著『贈る言葉』 玉川大学出版部 1984年
石田修大著『玉川学園 全人教育 夢への挑戦』 日経事業出版センター発行 2002年
学校法人玉川学園編『玉川学園創立80周年記念誌』 玉川学園 2010年
学校法人玉川学園編『玉川学園の教育活動』 玉川学園 2004年
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年

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