礼拝堂

2016.10.13

木々の濃い緑と空の青さの中にくっきりと浮かび上がる礼拝堂。赤い三角屋根と太陽の光で輝く白い外壁。その礼拝堂の歴史は古い。成り立ちは創立当初まで遡る。玉川学園創立の翌年、1930(昭和5)年6月、玉川学園で一番高い聖山の丘に礼拝堂の建設が開始された。礼拝堂の施工には高尾英輔氏があたり、資材運搬などで教職員や生徒も協力した。そして、礼拝堂が完成し、その年の10月13日に献堂式が行われた。

礼拝堂献堂式(写真中央に本間俊平氏、その右一人おいて小原國芳)

玉川学園の礼拝堂は、「本間俊平全集」(玉川大学出版部発行)の印税を基金に建立されたので、「本間記念礼拝堂」とも呼ばれた。そして、礼拝堂献堂式に招かれた本間俊平氏は、「礼拝堂がある限り神様は玉川学園を守り育てて下さる。自然を愛し、人を愛し、汗を流すことに喜びを感じる人になってほしい。」と生徒たちに語りかけた。

礼拝、クリスマス礼拝、宗教講話、講演、音楽発表会、演劇発表会、古くは大学卒業式、通信教育部スクーリング開講式など、折に触れて児童、生徒、学生、教職員は礼拝堂を訪れ、神を敬う心、感謝の心を育んできた。卒業生の中には、この思い出深い礼拝堂で結婚式を挙げる者もいる。

大学通信教育部第1回スクーリング開講式
玉川大学第1回卒業式

礼拝堂に備えられたパイプオルガンは1931(昭和6)年8月に設置された。この当時、パイプオルガンは日本にまだ4台しかなく、創立者の小原國芳は、1930年の欧米教育視察の際、アメリカの教会でパイプオルガンの厳かな音を聴き、「宗教教育」にパイプオルガンは欠かせないという強い信念を持った。國芳は、オルガン制作世界一の会社であるシカゴのキンボール社に行き、直接交渉の末、パイプオルガンを購入。このパイプオルガンは最新型の一級品であったと言われている。そのパイプオルガンは、7月20日に横浜の港から玉川の丘に運ばれた。皆でがっしりとした木箱に詰められたパイプオルガンを開梱し、5センチ程度のものから1メートルもあるパイプや、大小さまざまのチャイムを組み立てた。この組み立ておよび調律作業は、アメリカから来た技師と中学生4人が片言の英語でやり取りしながら行われた。そして、夏休みを費やして、ついに完成に至った。パイプオルガンが玉川の丘に運ばれてきてから約2カ月後の9月13日には、礼拝堂で初演奏会が行われた。

現在、演奏台は取り替えられ、もとの演奏台は教育博物館に保管されている。794本のパイプは、今も変わらぬ音色を響かせている。

現在の礼拝堂は竣工当初の1929(昭和4)年の姿とは若干変わっている。基本的な外観や内観を維持しながらも、外部廊下の変更、構造補強、外壁の張り替えなど、度重なる修繕を経て今日のような姿になっている。

2012(平成24)年5月、約半年間をかけた耐震補修工事が終了した。耐震のために2階から天井を支える2本の柱の補強と構造壁を増設し、床や天井にも補強を施した。また、屋内の補修には建築デザインの専門家である梅園真咲氏(高等部91年卒・旧姓藤村)の案で、身体に安全な漆喰が採用された。壁や天井に漆喰を塗る作業は、軍手をした手で直接仕上げる手法を取り入れ、さらに震災で一部破損したパイプオルガンの修理も行った。椅子は、買換えの案もあったが、全ての椅子を一端解体し補強をして、既存の形をできるだけ残すことにした。その4人掛けの椅子の中に、やや丈の低い椅子がある。これは1931(昭和6)年にパイプオルガンを購入したときの梱包資材から作られた椅子である。

毎年12月には、学友会主催のクリスマス礼拝が礼拝堂で開催されている。卒業生にとって、玉川の丘での思い出が蘇る心温まるひとときとなっている。

参考文献

  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園50年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 『Puente』2号(2012年6月号) 玉川学園 2012年