田中寛一

2016.12.19

1.玉川大学の誕生と学長就任

1947(昭和22)年2月24日、大学令による玉川大学の設置が認可された。旧制最後の大学であった。学部・学科の構成は文農学部文学科、農政学科の1学部2学科。大学の創立により、玉川学園は幼稚園から大学までを擁する総合学園として新たにスタートすることとなった。創立者小原國芳の長年の夢であった新教育の実現を目指す理想の大学が、こうして誕生した。そして初代の学長には心理学者の田中寛一が就任。

1949(昭和24)年2月21日、学校教育法による玉川大学の設置が認可された。学部・学科の構成は文学部教育学科、英米文学科と農学部農学科の2学部3学科であった。特に教育学科の設置により、新教育を主張して30年、全国を獅子吼(ししく)し続けた小原國芳の多年の願い、新教育の理念に基づく私立大学による義務教育の教員養成が初めて誕生した。その新制大学の学長には引き続き田中寛一が就任した。ただし、開設年である1949(昭和24)年8月からは波多野精一が、翌1950(昭和25)年1月17日からは小原信(学長事務取扱)が、1952(昭和27)年1月8日からは小原國芳がそれぞれ学長を務めた。

「玉川大学予科(大学の学部に進学する前段階の予備教育を行う高等教育機関)入学式の記念撮影」
(昭和22年5月20日)
一列目左から、田中末広、田中寛一、剱木亨弘、小原國芳
  • 剱木亨弘・・・文部省学校教育局長、1966年には第一次佐藤栄作内閣で文部大臣

田中寛一の古稀祝賀会の記念誌に、小原國芳のお祝いの言葉が載っている。その中に次のような記述がある。

私が玉川のほとりにささやかな学園を開きましたときに、ぜひ先生を学園長にとお願いいたしたところ、快くお引受け下され、学園としては最も困難な時代にお助けいただいて基礎を固めていただいたのみならず、今も、一週一回、わざわざお體を運んで下さって学生を御指導いただいておりますことは感謝に堪えません。

2.日本の心理測定の先駆者として活躍した田中寛一

田中寛一は1882(明治15)年1月20日、岡山県赤磐郡生まれ。心理学者。1913(大正2)年、京都帝国大学文学部哲学科を卒業。東京帝国大学大学院に進学し、文学博士の学位を取得。東京高等師範学校教授、東京文理科大学(現、筑波大学)名誉教授、日本大学教授を経て、玉川大学初代学長となる。1948(昭和23)年に日本教具研究所を設立し、『田中・びねー式智能検査法』(1947年)などを公刊。日本教具研究所は後に日本教材研究所と改称。さらに1951(昭和26)年には田中教育研究所と改称した。田中は1962(昭和37)年まで所長を務めた。1957(昭和32)年に紫綬褒章受章。1960(昭和35)年には心理学者としては初めての文化功労者に選ばれた。日本の心理測定の先駆者として活躍したが、1962(昭和37)年11月12日に死去。「B式智能検査法」や「田中・びねー式智能検査法」など多くの心理検査法を考案した。

主な著書には、『能率研究 人間工学』(右文館、1921年)、『教育的測定学』(松邑三松堂、1926年)、『教育的統計法』(昭和出版社、1928年)、『選抜考査法』(培風館、1931年)、『個性調査と職業指導の原理』(同文書院、1933年)、『B式智能検査法指針』(藤井書店、1936年)、『国民教育大系に於ける高等小学の地位』(成美堂書店、1937年)、『ペスタロッチ』(新潮社、1940年)、『日本の人的資源』(蛍雪書院、1941年)、『田中・びねー式智能検査法』(世界社、1947年)、『最新知能検査法』(日本文化科学社、1953年)などがある。

参考文献

玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
学校法人玉川学園編『玉川学園創立80周年記念誌』 玉川学園 2010年
『記念誌』 田中寛一先生古稀祝賀会 1952年
田中寛一著『田中・びねー式知能検査法』(改訂版) 日本文化科学社 1954年
江口潔著『教育測定の社会史―田中寛一を中心に―』 田研出版社 2010年
田中教育研究所ホームページ