パイプオルガン

2017.01.18

荘厳なパイプオルガンの音色が玉川の丘に響きわたる

パイプオルガンとの出会い

パイプオルガンの組み立て

小原國芳著『教育一路』につぎのような記述がある。

欧米旅行で荘厳なパイプオルガンの響きを聞きつづけた私は、玉川学園の丘の上の礼拝堂に、なんとしてもパイプオルガンを置きたい、と思いました。思い込んだら実行の私。米国へ回った時、世界一のキンボール社へ談判に行きました。
「なんとか、十年年賦で売らないか」
「そんな前例はない」と大笑い。
「飛行機は前例がなくても、飛んだじゃないか。アメリカでも前例前例というのか」
「わかった。せめて三分の一は前金で払ってくれ。あとは三年の分割払いでよろしい。だが正金銀行の重役の保証がほしい」
「承知した。こちらにも一つ頼みがある。東洋におけるエージェンシーを私にくれないか」
「日本では最初の申し込みだからよかろう」

礼拝堂に備えられたパイプオルガンは1931(昭和6)年8月7日に設置された。この当時、パイプオルガンは、上野の音楽学校(現在の東京芸術大学)や三越など日本にまだ4台しかなかった。創立者の小原國芳は牛込の成城時代の1925(大正14)年頃から、パイプオルガンを教育の場に用いることを夢見ていた。そして1930年の欧米教育視察の際、アメリカの教会でパイプオルガンの厳かな音を聴き、「宗教教育」にパイプオルガンは欠かせないという強い信念を持った。國芳は、オルガン製作世界一の会社であるシカゴのキンボール社に行き、直接交渉の末、パイプオルガンを購入。購入するにあたって國芳は、同社製造のオルガンを実際に教会に見に行った上で型を選定した。このパイプオルガンは最新型の一級品であったと言われている。パイプオルガンの大きさについては、『玉川学園三十年史抄』に、「三越のと同じ、三越のは劇場用。玉川のは礼拝用、学校用」と記されている。

購入したパイプオルガンは、国際汽船により1931(昭和6)年7月25日に横浜港に着き、7月27日に玉川の丘に運ばれた。がっしりとした木箱に詰められたパイプオルガンを開梱し、5センチ程度のものから1メートルもあるパイプや、大小さまざまのチャイムを組み立てた。この組み立ておよび調律作業は、アメリカキンボール社から派遣されて来たロングモアー技師と中学生4人が片言の英語でやり取りしながら酷暑の中で行われた。そして、夏休みを費やして、ついに完成に至った。

パイプオルガンの組み立て
パイプオルガンのパイプ室

このパイプオルガンは、アメリカのシカゴ市のW・W・キンボール社製で、製造番号は7097。ストップ12、パイプ数794本、チャイム20本、二段鍵盤、フルペタル付、Cスケールの礼拝用オルガンであった。アクションは当時最先端の構造である電空式で、パイプ全体がスエルボックスに入り、飾りパイプはついていなかった。現在、演奏台は取り替えられ、もとの演奏台は教育博物館に保管されている。

その当時のパイプオルガンのことが『学園日記』(No.26)に次のように記されている。

本間先生記念講堂(礼拝堂)には入って見ると普通のものよりちょっとしか大きくないオルガンが、チョコンとただ一つ置いてある。鍵盤を押すと、講堂の後ろから、朗々たる音が講堂内は愚か、近隣の學園住宅まで響き渡る。好奇的な氣持で、その仕掛を見ると、驚く勿れ、大小長短数百本のパイプが、構成派の舞臺ででもあるかのやうに立並んでゐる。
パイプオルガンが發明された當時は、フイゴが澤山並べてあって、演奏者は、そのフイゴの上を飛び廻って、演奏したものださうな。新しいパイプオルガンの前に立つと、さうした時代のことが思ひ出されて、今更今昔の感を深うせざるを得ない。

パイプオルガンが玉川の丘に運ばれてきてから約1カ月半後の9月13日には、午前10時より、招聘来日中のニルス・ブック率いるデンマーク体操チームの初来園を歓迎しての「ブック氏歓迎会」を礼拝堂で行った後、引き続き礼拝堂にて「パイプオルガン初奏会」が開催された。それは、真篠俊雄の演奏によって行われた。バッハの『トッカータ』と『フーゲ』で開始され、奥田良三の独唱と続いた。その荘重な音色と迫力は満堂の人々を魅了したという。その演奏のことが『学園日記』(No.27)に次のように記されている。

真篠先生が立派なおからだで、けふを晴のパイプ・オルガンの前に立ち、バッハの「ドッカッタ」と「フーゲ」をお彈きになって、滿堂の人々を醉はしめました。次は奥田先生の、テノール「ラルゴ」「アリア」の男性的な聲に、相手の聲が堂を揺がし、次にも一度、オルガンで、バッハの二曲が同じく真篠先生によって彈かれ、續いてまた、奥田先生の獨唱「アリア」「マルタ」が終り、拓殖さんが來賓を代表してユーモラスな挨拶を述べられ、東京圖書局長さんの發聲で、日・丁兩國の皇帝陛下萬歳を三唱して、これでパイプ・オルガン初奏の會を、めでたく閉ぢました。

しかしながら初演奏から一週間経たない9月18日の地震によって、天井の漆喰壁が崩れ落ち、パイプオルガンは大きな被害を受けた。この破損に際して、設置のときに組み立て作業を担当した塾生の指田太郎、松田裕吉、関根高たちが、15日間にわたり修復作業を行った。その後もアクションの皮やフェルトが虫の被害にあったり、気候の差で木部に狂いが生じたこともあったが、代々学生、生徒たちの手によって修理、調整、調律が続けられてきた。

礼拝堂に新しく設置されたバロック式パイプオルガン
礼拝堂に新しく設置されたバロック式パイプオルガン

1978(昭和53)年、創立40周年記念事業で、同窓会から新仕様のバロック式パイプオルガンが贈呈され、礼拝堂に設置された。従来のロマンティックオルガンとバロックオルガンという構造を異にする二つのオルガンが同じ場所に設置されたのは日本では玉川学園だけであった。5月21日、同窓会総会での故小原國芳夫妻の追悼礼拝で、この新しく設置されたパイプオルガンによる演奏が行われた。この日以降、各部の礼拝時に、ウィーン聖シュテファン大聖堂オルガン奏者のペーター・プランアフスキーや、オルガン建造者である辻宏らを招き、新設パイプオルガンの演奏を行った。この新しいパイプオルガンは、2000(平成12)年3月21日にチャペルが完成した際に、そちらに移設された。

1931(昭和6)年に設置されたパイプオルガンは、1980(昭和55)年にも修復が行われ、その年の9月20日に修復試演会が開かれた。さらに2011(平成23)年の東日本大震災の後、2012(平成24)年に礼拝堂についても耐震性を高めるために大改修工事が実施された。その際、パイプオルガンの修復も行った。そしてこのパイプオルガンは、礼拝堂において今なお変わらぬ美しい音色を響かせている。

参考文献

  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 『学園日記』No.26
  • 『学園日記』No.27
  • 『玉川教育-玉川学園三十年史抄-』
  • 『全人教育』No.620(2000年2月号) 玉川大学出版部 2000年
  • 『全人』No.740(2010年6月号) 玉川大学出版部 2010年
  • 藤井百合著「玉川学園における2台のパイプオルガン―比較考察及び歴史的背景―」(『論叢』8号 玉川学園女子短期大学 1983年 に所収)