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教育大学(現職教員の研修制度)

2017.09.07

現職教員の研修制度である「教育大学」の開校は、我が国の教員養成史上、全く類例のない画期的な構想であった。

1.教育大学部の開設

塾生活

玉川学園の創立者小原國芳は、1922(大正11)年以降、神戸の文科大学講座や山梨県の富嶽夏季大学といった研修会を通して、現職教員の質の向上に寄与していた。さらに1932(昭和7)年1月10日、玉川教育研究所内に教育大学部を設置し、現職教員が研修できる機会を作った。教育大学部で学んだ教育者は、教育大学部学籍簿によれば、38名であった。なお、この中には満州国から派遣された14名も含まれていた。

教育大学部の募集の広告には次のように記されていた。

御知らせ申し上げたいのは、教育大学講座の開設であります。本講座は単なる一回限りの講習ではなくて永続するものです。設けられた科目は一時に全部終了しなくても良いのでありまして、例えば倫理・教育を冬期休暇中にやってテストにパスして置けば、別な学科は別の機会にやっても良いことになって居ります。
そして全部を修了した方に、初めて終了証書を差上げることになって居ります。

教育大学部の概要については以下の通りである。

  1. 目的
    高邁真摯なる教育道を磨き、教育の理論と実際との融合統一を期し、更に郷土教化指導の中堅人物を養成する。
  2. 生活
    玉川塾の精神を徹底深化させるために全員入塾し、塾生と同じ生活をする。
  3. 修了方法
    科目制度により、入塾するごとに逐次科目を履修し、修了することができる。
  4. 入学定員
    実践の良き効果をあげるために、一期20人とする。
    在学は1週間以上1年以内とし、本人の希望に応じて入学することができる。
  5. 費用
    室代、電燈代、食事代、布団代、図書館使用代などで1日約1円20銭。

2.教育大学の開校

教育行脚

戦後になり、國芳は全国各地を教育行脚し、「教育立国」の夢を、そして「全人教育」の理想を語り、全国に新教育運動の火を点していった。その教育行脚を通して、國芳は教員の再教育の必要性を痛感した。そして、1946(昭和21)年に現職教員の再養成のための教育研究制度としての教育大学を開校。募集を開始した。指導する教員は旧制玉川大学、玉川工業専門学校の教授陣で組織した。

教育大学は1年のうち3カ月を玉川で学習し、残り9カ月を勤務地で教鞭をとりながら通信教育で学ぶというものであった。しかも3カ月の本学での学習期間中は、生産と教育を一体とし、学費一切、食費も含め本学から支給されていた。この教育大学構想は、敗戦に混迷していた教育者に希望を与えた。

数多くの応募者の中から19名を選抜し、1947(昭和22)年5月10日、玉川学園礼拝堂にて入学式が挙行された。19名の出身地は、広島県、鹿児島県が各3名、愛媛県が2名、岩手県、山形県、千葉県、神奈川県、新潟県、福井県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、鳥取県が各1名であった。募集に関しては、「働きながら学ぶ 教育大学生募集」という要項に次のように記されている。

新日本の誕生、平和国家の建設、武器の放棄、文化国家の開拓!何というすばらしい世界への高鳴りでしょう!思うだに身振いするほど愉快を痛感いたします。思いっきりのスタートを跳び出そうではありませぬか!焼けつくほどの南洲魂や松陰精神で。さて問題は実に教師論です。お互いの力量です。一切は人格本位です。成るも成らぬも自己の深さです。「進みつつある教師のみ、人を教うる権利あり」(ディーステルヴェーク)です。この昭和維新のために、メイメイが、メイメイの学校の中心となり、家の光となり、村の塩となって下さい。
(中略)
玉川では、三カ月間、学生と共に学び、共に働き、共に歌い、塾では若き少年達の兄貴、各労作場面のリーダー、教育では先生のよき助手、出ては玉川のよき地方主任。月謝、食費、室代、電燈代みな免除。
任地での九カ月間は、指定の教科書によりて自学。読書百遍意義自ら通ず。毎年、各科、小論文提出。その結果に漸次進級。
次年度に来た時には質疑応答、討議、推究、学生として三カ月間の自学に労作、また、あと九カ月は任地で同様。然して四年目は卒業論文に没頭。

教育大学二回生は1947(昭和22)年9月に入学。この時期より教育大学は教育研修科と名称を変更した。教育研修科修了証書台帳によると、教育研修科の修了者は第1回が34名、 第2回が16名、第3回が24名、第4回が32名、第5回が36名であった。

通信教育部の第1回スクーリング開講式

教育大学を開校したことは、旧制玉川大学の誕生とともに、玉川学園の戦後教育の特筆すべき出来事であった。また、この教育大学開校は、我が国の教員養成史上、全く類例のない画期的な構想であり、制度であった。

その後本学は、1950(昭和25)年、通信教育制度発足と同時に通信教育部を開設。その時認可されたのは、玉川のほか、慶應義塾、中央、日本、日本女子、法政の5大学であった。さらに2008(平成20)年、教職大学院制度発足と同時に教職大学院を設置し、現職教員の資質向上の一役を担っている。

参考文献

小原國芳著『小原國芳自伝 夢みる人2』 玉川大学出版部 1963年
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
小原國芳監修『全人教育』第17巻第6号 玉川出版部 1947年
小原國芳著『塾生に告ぐ』(小原國芳全集14) 玉川大学出版部 1964年
山﨑亮太郎著『今、蘇る全人教育 小原國芳』 教育新聞社 2001年

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