西田幾多郎

2018.07.11

玉川学園創立者小原國芳の京都帝国大学時代の恩師に日本を代表する哲学者西田幾多郎がいた。西田は國芳の教育観や宗教観に多大な影響を与えた人物の一人である。

1.西田幾多郎と小原國芳

西田幾多郎は日本を代表する哲学者であり、西洋の哲学と日本の思想を融合させ独自の哲学を展開した。小原國芳は、西田幾多郎や波多野精一、小西重直などそうそうたる顔ぶれが揃っていた黄金時代といわれていた当時の京都帝国大学文科大学哲学科に1915(大正4)年に入学した。そこで國芳は西田と出会い、1918(大正7)年までの3年間(当時帝国大学の就業年限は3年)、彼らの指導のもと、教育学の研究に打ち込んだ。

2.國芳に鮮烈な印象を与えた『善の研究』

西田の著書『善の研究』は日本の本格的な哲学書であり、後年も多くの人に読み続けられている。國芳も広島高等師範学校時代に読んだ『善の研究』に鮮烈な印象を受け、「日本の哲学界が永遠に記念すべき名著」と語っている。その後テキストとして、成城学園、玉川学園で長年使われ、現在も玉川大学教育学部の研究室のゼミナールで研究・使用されている。

<関連サイト>

研究室ガイド/玉川大学教育学部 教育学科佐久間裕之教授
石川県西田幾多郎記念哲学館でのゼミ研修
石川県かほく市の助成を得て、日本唯一の哲学館で毎年ゼミを行っています。本学の創立者小原國芳先生が愛読した恩師・西田幾多郎の『善の研究』と格闘しています。

3.小原國芳が語る西田幾多郎

國芳が西田の講義を受けている時の様子が、小原國芳著『小原國芳全集29 小原國芳自伝-夢みる人(2)』に次のように記述されている。

先生の講義は一年生の時は哲学概論。ヴィンデルバントの『哲学概論』の原本を持って来て、二、三分間、黙読しては、その梗概(こうがい)を話すといった調子でした。
無論、方々で、原本以外のさまざまな脱線話もつけてくださいました。
                 (略)
二年目の特殊講義は、専攻科の学生が三人なり四人なりが聴けばよいのですが、西田先生の場合には、他の専攻科生も、三年生も、卒業生も、時には、他の科の教授たちも見えて、三十人、五十人、百人とだんだん増えて行くのでした。
                 (略)
しかも、お弱いお体。特殊講義は毎年、土曜日の三時から五時の講義。冬なぞは四時半にもなると、教室は暗くなる。
お話が高調(こうちょう)して一段落つくと、セキが出られる。
「今日はこれで休ませて下さい」といって、教壇を降りて、学生の机の間を元気なさそうに出口に出られる和服姿は全く神々(こうごう)しいものでした。

と当時の西田の魅力・人気・学生たちに神格化された存在であったことを語っている。

西田の『善の研究』に関してのエピソードとして、國芳は著書『教育一路』において次のように述べている。

日本の哲学界が永遠に記念すべき名著、西田先生の「善の研究」を、私が初めて手にしたのは、明治四十四年、広島高師のころ。それ以来、この名著についてどれくらい語ったでしょうか。成城、玉川でも永年、教科書に使いました。六十年間の夏季講習会でも、優秀な教師を集めて、三日とか五日とかの読書会をよく聞きました。
ある時、西田先生は、私の友人に言われたそうです。
「ぼくが、十年もかかって苦心して書いた本を、小原は3日で話すそうだ」
私は三日間も念入りに紹介したのでした。

京都帝国大学での西田との出会いの3年間は、國芳のその後の教育観や宗教観とその展望に大きな影響を与えた。

4.西田幾多郎と小原國芳

西田と國芳との交流はその後も続き、玉川学園が創立して3年後の1932(昭和7)年6月に開催された第4回労作教育研究会に、西田は特別講師として来園。國芳は「私共に真実の方向を示していただくことが出来て感謝の言葉もありませぬ」と述べている。また「日本の若い先生方の精神的糧(かて)を頂いたものです」とも語っている。またその後も玉川学園との関係は深く、1942(昭和17)年に設立された興亜工業大学(現在の千葉工業大学)の設立時に文部省(現在の文部科学省)に提出した設置趣意書の建学の精神および教育方針の作成に、政治評論家の徳富蘇峰、作家の武者小路実篤、キリスト教伝道者の本間俊平、磁性物理学の世界的権威であり東北帝国大学総長の本多光太郎、京都帝国大学前総長の小西重直らとともに参加した。

左から田尾一一、西田幾多郎、小原國芳 1932(昭和7)年

小原國芳の恩師、西田幾多郎。彼の思想や存在そのものによって、國芳の教育者・教育の開拓者としての素地(そじ)素養(そよう)が涵養(かんよう)されたと言っても過言ではない。

<関連サイト>

【参考】

西田幾多郎の揮毫「水流心不競 寸心」

上述の労作教育研究会の来園時に、揮毫(きごう)してもらった作品。杜甫の五言律詩「江亭」の言葉。「水流心不競 寸心」は「水流るるも 心は競わず」「水流れて 心競わず」等と読む。「自分の心は水と競わない」「水は流れるが 心は流れに逆らわない」などの解釈がある。「寸心」は西田幾多郎の居士号。(玉川大学教育博物館所蔵)

西田幾多郎 1870(明治5)年-1945(昭和20)年
日本を代表する哲学者。京都帝国大学教授。
京都学派の創始者。学位は文学博士。

参考文献

  • 西田幾多郎著『善の研究』 岩波書店(岩波文庫) 1950年
  • 西田幾多郎著『西田幾多郎全集 第11巻』 岩波書店 1965年
  • 小原國芳著『小原國芳自伝 夢見る人(2)』 玉川大学出版部 1963年
  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 石橋哲成編著『全人教育論-講義資料集-』 玉川学園 2005年
  • 玉川大学教育学部全人教育研究センター『年報 2017 第5号』 玉川学園 2018年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977年