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経塚山 三角点

2018.08.20

学内では経塚山を三角点とも呼ぶ。かつては中学部の労作で建てられた茶室があり、またバーベキューなどを行うこともできた。三角点の頂上には“アルペンスキーの父”として知られるハンネス・シュナイダーの像が立っている。この頂上に立つと、「地球の三分の一が見えるぞ」という小原國芳の声が聞こえてくるかもしれない。

1.名前の由来

幼稚部園舎と低学年校舎をつなぐ小高い丘は、古くから「経塚山」と呼ばれている。名前の由来は、昔仏の教えを守るため、経典を大切に保存しようと地中に埋めた場所である「経塚」からきている。また、測量用の二等三角点が設置されていることから、「三角点」とも呼ばれている。

『全人』第768号に「地球の三分の一が見えるぞ『経塚山』」というタイトルの記事が掲載されている。その中に、次のような記述がある。

「経塚山」の名が初めて本学で使われたのは創立の一九二九年六月。機関誌『學園日記』第一号に「經塚山と呼びならはされ、よく村の小學生などが辨當持ではるばる遠足に來た」と載る。
経塚山と呼ばれたのは、ここからお経の文字が書かれた小石が多数出土したと 言い伝えられているからだ。しかし、戦後、山頂部で給水施設工事が行われたが何も出てこなかった。
一九二一年の大日本帝国陸地測量部測図の地図に「境塚」と地名が載る。この地が古くから行政区画の境であったためだ。

本学卒業生で芥川賞受賞作家である笠原淳氏が書いた『茶色い戦争』(新潮社発行)には、当時の玉川学園のキャンパスの様子が具体的に描かれている。三角点に関しても、そこから西側を見下ろしたときの風景について、以下のような記述がある。

三角点の頂から西側を見下ろすと、急な斜面からやがてなだらかなスロープがつづき、放牧された十数頭の緬羊が思い思いに草を食んでいる。その先にひろがる松林だの雑木林、野菜畑や果樹園の間に、学園の校舎、塾舎、食堂、図書館、工芸館、教職員の住宅などが点在している。さらにそれらの向うの丘をおおう森の頂に、聖山と名付けられた小山を背にして礼拝堂の尖塔が白く浮かんでいる。

三角点から北西を望む(昭和30年頃)
三角点から南東を望む(昭和30年頃)

玉川学園創立者小原國芳は、経塚山の見晴らしのよさを「この丘に立つと学園はおろか世界の3分の1が見える」と表現していたと言われている。このことは『玉川学園五十年史』(75ページのコラム)にも記載がある。また、緑の木々がやすらかな空間をつくり、ピクニックや散策のコースにも利用されていた。またバーベキューなども行われていた。茶室も設置されていた。今は、葉っぱ滑りをしたり、遊具を使用したり、子供たちの活動の場として活用されている。

中央の建物がかつてあった茶室

2.シュナイダー像

経塚山の山頂、アドベンチャー教育を行うためのチャレンジコースが設置されているところにシュナイダー像がある。

“アルペンスキーの父”として知られるハンネス・シュナイダーは、「玉川学園とスキー」の基盤を築いた人物である。1930(昭和5)年、小原國芳は、オーストリアから“スキーの神様”であるシュナイダーを日本に招聘した。シュナイダーは当時、アルペンスキー競技において常に第1位となるトッププレーヤー。「スキーを習うなら世界一のスキーヤーから習いたい」という子供たちの願いを耳にした國芳は、すぐに総領事館に直接交渉。その熱意が伝わって、わずか1カ月も経たないうちにシュナイダーの来日が実現した。連日のハードスケジュールの中、本学の生徒たちに熱心にスキーの講習を行ってくれた。

ハンネス・シュナイダー
小原國芳(左)とシュナイダー

1963(昭和38)年に“第二のシュナイダー”、あるいは“オーストリア・スキーの父”と言われたシュテファン・クルッケンハウザー教授一行が来園。その日、三角点でシュナイダー像の除幕式が行われた。シュナイダー像は、当時の美術部の学生たちが制作したもの。その後、1982(昭和57)年に、彫刻家の松田芳雄氏によって、白セメント製からプラスティック製の像に取り替えられた。

シュテファン・クルッケンハウザー
シュナイダー像除幕式
中央後ろがクルッケンハウザー教授夫妻

3.遊具

経塚山の木々の中に、子供たちが使う遊具が設置されている。登り棒や雲梯、滑り台などである。秋には経塚山の落葉樹が一気に紅葉し、幼稚部の年長組はスケッチを行ったり、落ち葉の上をそりに乗って滑りおりる「葉っぱ滑り」にチャレンジしたりしている。

4.TAP施設

2000(平成12)年に、TAP施設として経塚山にチャレンジコースが完成した。TAPとは「Tamagawa Adventure Program」の略称で、アドベンチャー教育の哲学・手法を取り入れた、玉川の全人教育と統合した体験学習プログラム。アドベンチャー教育とは、世界中で実践されている人間教育をめざした教育である。

玉川とアドベンチャー教育とのきっかけは1997(平成9)年。国内で最初に玉川が導入したアドベンチャー教育は、アメリカで40年以上にわたり高い評価を得ている教育手法で、人間的な成長、社会性を向上させる野外活動や体験を教育に取り入れたもの。学内の児童、生徒、学生だけではなく、広く学外の多様な受講者のニーズに応じたプログラムを提供している。

5.「二宮尊徳翁」と刻まれている自然石の石碑

大学8号館前の道を大学6号館に向かって進むと、左手の道路際の経塚山斜面に、「二宮尊徳翁」と刻まれている自然石の石碑を見ることができる。二宮尊徳は勤倹力行の人であった。捨てられた苗をもとに、人が省みない小さな場所に稲を育てた話はよく知られている。先のことを憂えず、日々の務めを着実に果たす彼の姿を表した詩といえよう。なお、この詩は二宮尊徳が作ったものではなく、日頃口づさまれていた詩と言われている。

「この秋は 雨か風かは 知らねども 今日のつとめに 田草とるなり」

6.写真で見る「経塚山 三角点」

方位盤
方位盤
方位盤
方位盤
「向こうがアメリカ合衆国だね」
二等三角点
二等三角点(手前)と方位盤
中学部の野外劇場での昼の合唱、その後ろが経塚山
経塚山中腹での中学部生の写生(1965年)
上級生の心尽くしの弁当に舌鼓を打つ新入生
緬羊の飼育、右側の建物が茶室
低学年経塚グラウンドと、その向こうが経塚山

参考

三角点……三角点は、測量の基準として、緯度や経度、標高などの位置が正確に計算されており、地図の作成や道路の建設などで使用されている。三角点は、一等から四等までの4種類に分類される。本学の経塚山三角点は二等三角点。一等から三等までの三角点のほとんどは明治時代に設置されたものである。

参考文献

  • 「玉川学園開発物語」(『全人』第669号 玉川大学出版部 2004年 に所収)
  • 笠原淳著『茶色い戦争』 新潮社 1994年
  • 白柳弘幸「玉川の丘めぐり(29)」(『全人』No.768 玉川大学出版部 2013年 に所収)
  • 『玉川学園の教育活動 玉川大学の教育活動(2008~2009)』 玉川学園 2008年
  • 『小学教育―玉川学園―』 玉川大学出版部 1965年
  • 『中学教育―玉川学園―』 玉川大学出版部 1965年
  • 『中学教育―1973年版―』 玉川大学出版部 1973年
  • 『玉川教育―1963年版―』 玉川大学出版部 1963年
  • 『玉川教育―玉川学園三十年―』 玉川大学出版部 1960年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 『写真でみる玉川学園75年』 玉川大学教育博物館 2004年

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