健康院(現 保健センター健康院)

2018.10.18

創立者小原國芳は、学校には病気やケガの治療のみならず、心身両面の健康維持と増進をはかる拠点が必要と、創立の翌年に健康院を開設した。「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」の言葉を重んじ、「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」と、知識偏重教育からの脱却を唱えた。

1.健康院のはじまり

玉川学園創設の翌年1930(昭和5)年9月、駅の道路向かいに初代健康院が完成した。玉川は創立以来「全人教育」の教育理念の中心として、人間形成には真(学問)・善(道徳)・美(芸術)・聖(宗教)・健(健康)・富(生活)の6つの価値を調和的に創造することとし、健康をきわめて大切なものと位置づけてきた。この6つの価値の「健」を具現する施設として健康院(玉川診療所)が設立された。学園開発当時は付近に町らしいものはなく、もとより医療機関は皆無で、近隣の町田町にも数件の医院があるにすぎない事情もあり、開園後いくばくもない昭和5年9月、校地と住宅地の中間地点、駅前に開設された。これは一般診療所ないし、当時としては一小病院ともいわれるべき内容を備えたものであった。これに健康院と名づけられたのは、一般の診療機関が病人の治療のみの医学の領域にとどまる弊をのぞき、健康を維持増進させることを積極的に援助する性格をもたせたいとする小原國芳の卓越的な識見にもとづくものであった。そして健康院は診療施設としても、学園開拓当初より学園村の円滑な発展に果たした役割は、はかり知れぬ大きなものであった。

1930(昭和5)年駅北口に開設された健康院
1930(昭和5)年に完成した健康院

2.混乱期(戦中・戦後)の状況

戦中・戦後の混乱期にかけて当時の南多摩の学園村は無医村に近い状態であり、健康院の校医も付近住民の往診には徒歩、自転車、リヤカーなどを利用していた。その後、社会事情の変遷と学園独自の発展にともない、健康院の保健活動(健康管理と診療)にも変動が現れた。すなわち、学園村はしだいに開発拡張され、住宅地が増加し、東京都市部より疎開者が住居を求め多数来住した。さらに社会経済の好転にしたがって、学園村は東京都の周辺計画の一環に加わる学園都市の姿を形成するに至った。そのため、必然的に診療業務が増加し、本来の学校保健管理業務は片手間状態となった時期であった。

1950(昭和25)年頃の診療室
1957~1958(昭和32~33)年頃の健康院

3.移転した健康院 玉川学園拡充期(1955年~1980年)の保健管理

前述の通り、学園の経営でありながら、一診療所として学園関係者をふくめた地域住民の医療を行う状況が続いたが、1955(昭和30)年頃から学園の組織・人員は整備拡大する機運にあり、これをうけて健康管理業務を主体とした医療方針を掲げ、組織の充実を図り、1960(昭和35)年5月に玉川学園校地のほぼ中央に新しい健康院(玉川学園診療所)の施設が完成した。これにより学園の保健管理機構は一新された。

完成当時の施設概要及び診療体制は以下の通りであった。

施設

  • 建坪227m2 木造2階建て
  • 診療室、歯科診療室、歯科技工室、薬局受付、薬品調剤室、検査室、保健管理室、養護室(ベッド4台)、レントゲン室、会議室、トイレ

職員

  • 常勤の院長(大学保健科目担当教員)
  • 顧問医(非常勤2名)
  • 歯科医(非常勤2名)
  • 保健婦(1名)
  • 事務員(1名)
1959(昭和34)年 大体育館と大学9号館の間に
建設中の健康院
1960(昭和35)年に完成した健康院
裏側(線路側)

建物は玄関側の道路から見ると平屋であるが、実際は二階建てである。

1960(昭和35)年の健康院(正面)
創立者小原國芳によるテープカット
1960(昭和35)年7月1日 開所式
1965(昭和40)年の健康院
1971(昭和46)年頃の健康院
1962(昭和37)年頃の診療室
1962(昭和37)年頃の歯科診療室

数年後、玄関の右側に“Orandum est, ut sit mens sana in corpore sano ・・・Juvenalis” 「健全なる身体に 健全なる精神が宿る・・・ユベナル」と書かれた木製銘板が建てられた。

移転後の健康院では応急的診療と健康相談的診療が主な業務となった。そして学園周辺に各科の医療機関(耳鼻科、眼科、小児科、内科、歯科等)の開設が徐々に進んだことにより健康院から専門医への紹介も多くなった。またこの時期より保健管理は活発な活動期に入った。学校保健法の規程に基づき、幼小中高の各校舎内に保健室を設置し、常時各部に1名ずつの養護教諭を配属して保健養護に従事させた。大学には保健婦1名を配して健康院内に大学保健管理室を設置した。このように玉川学園の拡充期と重なり、健康院の活動業務は、学園保健センターとしての保健管理面と、医療機関としての診療面を担当する組織化がはかられていった。当時の健康院の学園における主たる目的は、学生、生徒、児童、園児ならびに教職員の保健管理、疾病予防を基本とした健康生活を推進するために必要な保健技術を担当することである。すなわち、医療行為をふくめた保健管理業務と健康教育を司ることを理想とした。

4.現在(健康院から保健センター健康院へ)

1980年代後半から現在にかけて、玉川学園は幼稚部から大学院、教職員を含めて1万名を超える人員数をかかえ、学部、学科各様の教育体制のもと、教育行事も複雑多岐にわたり、それに伴い保健管理業務は繁雑をきわめていった。しかし年々高度に進歩した医学(医療技術)を用い、玉川学園在籍者の健全なる発展と疾病異常を健康診断などで早期に診断し、保健指導、応急処置、心のケアのためのカウンセリングの実施など健康院スタッフが総力をあげて取り組んでいった。

2016(平成28)年頃の健康院
2016(平成28)年頃の木製銘板
文字は小原國芳の揮毫
2017(平成29)年頃の診察室
2017(平成29)年頃の診療受付

1960(昭和35)年に建てられた健康院は、美しい展望と味わいのある建物として親しまれてきたが、すでに50年以上経過し、老朽化が著しいため2015(平成27)年に新しい施設建設の検討が始まった。2年後2017(平成29)年4月に組織名称を「玉川学園健康院」から「玉川大学・玉川学園保健センター健康院」に変え、本部棟隣に建設地が決まり、その3か月後の7月に地鎮祭が執り行われた。しかし建設予定地から縄文時代中期頃の遺跡が発見されたため、埋蔵文化財調査が1か月実施された。その調査の後、埋め戻され、9月に建設を開始。1年後の2018(平成30)年7月に完成し、9月10日に竣工式が行われ、9月13日から診療を開始した。新施設は耐震性に優れた構造で、緊急車両用の車寄せのほか、電気自動車などから施設内に電気を取り入れる非常電源コンセントの設置など、災害対策にも配慮している。このように学校保健、産業保健、診療といった多様化する保健センター業務に対応するため、創立以来の理念を踏襲し、“園児・児童・生徒・学生・教職員の健康を守り高める場所”を目指し、教育活動を支援している。

保健センター健康院:自然に囲まれた癒しの空間を目指し設計。
平屋建ての施設はバリアフリー化が徹底され、従来の約2.5倍の広さに。
銘板:希少なブラジリアンローズウッドを使用。
銘板:銘板の「健康院」の文字は小原國芳の揮毫。
総合受付:鹿児島・久志の砂を原料にしたペンダントライト、Green Moon(小原芳明理事長制作)。
待合室:待合室はアースカラーを基調にデザイン。天井には職人とK-12の生徒の労作による漆喰などを取り入れている。
診療室入口(左)診療室1(右):診療室内の医療機器はやさしい色調で統一。
診療エリアと導線の交わらないカウンセリングエリアを設置し、メンタルヘルスケア部門を強化。
診療室2
計測室
X線室
養護室
相談室1
相談室2
事務室
緊急車両用車寄せ
電気自動車の充電スタンド
本部台遺跡解説プレート

施設

  • 建坪 631.71m2 地上1階建て
  • 受付(総合案内)、待合室、診療室(2室)、計測室、X線室、健診着替室、養護室(2室)、相談室(2室)、リネン室、院長室、医師室、会議室、事務室、トイレ

職員

  • 常勤医師(1名)
  • 常勤事務職員(1名)
  • 常勤看護師兼事務職員(4名)
  • 非常勤精神科医師(1名)
  • 非常勤呼吸器内科医師(2名)
  • 非常勤臨床心理士(カウンセラー)(4名)
  • 非常勤学校薬剤師(1名)
  • 非常勤学校歯科医(1名)

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳著『玉川塾の教育』玉川大学出版部 1930年
  • 小原國芳監修『全人教育』第130号 玉川大学出版部 1960年
  • 小原國芳監修『全人教育』第274号 玉川大学出版部 1972年
  • 小原芳明監修『全人』第791号 玉川大学出版部 2015年
  • 小原芳明監修『全人』第831号 玉川大学出版部 2018年
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』No.692 玉川大学出版部 2006年 に所収)
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』No.791 玉川大学出版部 2015年 に所収)
  • 『玉川教育-1963年版』玉川大学出版部 1963年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川學園五十年史』 玉川学園 1980年