玉川大学・玉川学園Webサイト
IEサポート終了のお知らせ

玉川大学・玉川学園webサイトTOPページリニューアルに伴い、Microsoft 社の Internet Explorer(以下、IE)のサポートを終了いたしました。本学園が運営するサイトをIEで閲覧した場合正しく表示されない恐れがございます。
皆様にはご不便をおかけしますが、別のブラウザを利用しての閲覧をお願いいたします。

クリスマスキャロルと大焚火

2018.12.17

玉川学園創立の年1929(昭和4)年の12月24日深夜にクリスマスキャロル隊を編成し、学園内および学園村の家々を巡った。一週間後の12月31日の午後11時から大焚火、12時から除夜の太鼓、そして祈り。その後、クリスマスキャロルと大焚火は、恒例の行事として代々塾生に受け継がれ、継続して行われた。

1.クリスマスキャロル隊(聖歌隊)

聖歌を歌いながら丘を巡るクリスマスキャロル隊。12月24日の深夜に聖山に集合し、学園長宅をスタートに学園内に住む先生方の家や丘の住宅地を巡り、玄関先で聖歌を歌う。その活動は、創立の年から始められた。最初は学園内で生活をしていた塾生たちによって行われた。戦後になると、塾生以外の学生も参加するようになった。長く丘に住んでいる人たちには、年末の風物詩として大変好評であった。しかし、玉川学園創立者小原國芳が亡くなった1977(昭和52)年は中止。そして、新たにこの地に引っ越してきた住民が増えたことにより、クリスマスキャロル隊の活動を良かれと思わない人も出てきた。そのため、翌1978(昭和53)年からこの活動を取りやめることとなった。それに代わるかのように1983(昭和58)年からは正門の玉川池のところにクリスマスツリーが飾られ現在に至っている。また、近年、玉川学園の7年生(中学1年)から12年生(高校3年生)までで構成されているハンドベルクワイアが近隣のクリスマス行事で美しい音色を奏で、地域の人たちに喜ばれている。

1955(昭和30)年のクリスマスキャロル隊
クリスマス・イヴに小原國芳宅を訪れた聖歌隊(1956年)

『全人』804号(玉川大学出版部発行)の「故きを温ねて(33)」にクリスマスキャロル隊のことが次のように記述されている。

塾生たちは未明に聖山に集まり、真っ先に聖山中腹の学園長小原國芳の自宅前で歌う。それを聞いた小原は「毎年のことながら、ただただ感激でした。夢に聞く美しい聖歌隊のメロディー。閑(しず)かに目が覚める。天国に居るのではないか度(と)自分の耳を疑う」(『全人』1950年1月号)と感想を残している。学園内に住む先生方の自宅玄関前では混声四部で何曲も歌ったとのこと。そして聖歌隊は途中から分かれて、東西1キロメートル南北1キロメートル近くある丘の住宅地の道を巡り、地域の方々にもクリスマスを歌で寿(ことほ)いだ。

1967(昭和42)年
1967(昭和42)年

小原國芳は、創立の年のクリスマスキャロル隊について次のように述べている。

前日の働きにグッスリ疲れて、静かな夜の熟睡を貪っていると、高らかな朗らかな、しかも、美しい四部合唱で私の眠りは破られた。場所はスグ私の家の椽先なので、いよいよ驚きました。
歌は六七番
ビックリすると同時に、感謝と悦びの涙で満たされたのです。そうだ、今朝はクリスマスの朝だと分かりました。丘の上で先づ私の家を第一番に訪れて下すったこのコーラス隊に私は何といってお礼申し上げよう!
(略)
私のうちがすむと、松本君のうちへ。それから伊藤塾へ。宇崎君や栗原君の為に圖書館に。声はだんだんかすかになる。
(略)
遙かに夢の国から聞くようなメロデイが流れて來る。全く、太古そのままの氣持でした。
(略)
丘の最初のクリスマスを清く祝つて下すったことをたまらなくうれしく思ひます。おかげで、少なくとも吾らの丘は御心に叶ふ丘になれるような氣がいたします。生れてはじめて、感謝と神秘に充ちたクリスマスが迎へられましたことを心から御礼申し上げます。

1970(昭和45)年
1970(昭和45)年

2.大焚火

1929(昭和4)年の創立の年が終わり、新しい年を迎えようとしていた。その瞬間に、過ぎゆく年に感謝し、新しい年を迎えるお祝いをしようと、小原國芳をはじめ先生方、塾生が揃って大晦日の午後11時に聖山に集まった。そして、直径6メートル以上ある大焚火を囲んで、讃美歌を歌い、そして祈った。この大焚火はその後も毎年大晦日に行われ、1975(昭和50)年まで続いた。

1929(昭和4)年

『ZENJIN』642号(玉川大学出版部発行)の「故きを温ねて(9)」に創立の年の大晦日の大焚火のことが次のように記述されている。

「昭和四年が昭和五年に移る瞬間、遠くの寺々から流れて來る除夜の百八の鐘の音、天にきらめく燦々たる星の群れ、焚火を中心に黙禱する人々、聖火に反映する感謝の涙の顏、神にる熱禱、高らかに歌ふ歌の聲、特に靈感に燃えてる少年たちの純眞なり!全く何といふ貴い光景でしたらう!」(『學園日記』七號より)と小原國芳は述べる。新年を迎えることのできる感謝と、山のような夢を願う祈りが捧げられていたに違いない。

また、創立の年の大焚火の様子が、塾生の言葉として『玉川学園五十年史』に、次のように記されている。

昭和四年より五年にうつる其の瞬間において、心ゆくばかりの祝いをしようと、小原先生初め各先生方、塾生全部揃って、大晦日の夜十一時より聖山に集まった。土木部の手によって集めた多くの薪を焚き、そしてその焚火を囲み、先生も塾生も皆心から出る讃美歌を歌った。時は流れた。静かなあたりの空気をやぶって除夜の太鼓が鳴り出した。皆黙禱した。小原先生のお祈り、続いて各先生方のお祈り、塾生先輩諸君のお祈り、そして最後に、又小原先生のとてもしんみりとしたお祈りがあった。其の感謝の言葉、誰も泣いた。みんな泣いた。
(略)
感謝だ、感謝の他には何もない。そして新しき希望に満ちた昭和五年を全力を尽しておくる事の出来るようひたすら願った。静かに、どこからともなく除夜の鐘が流れてくる。空にはほんとうに沢山の星がきれいにならんでいた。自分達は其の空をあおぎ、心ゆくまで四六二番を歌った。この時こそ、五十有余の心が全くひとつになった時である。何という美しき場所であったろう。全く地上の天国だった。

1971(昭和46)年

小原國芳著『塾生に告ぐ』には、終戦の年の大焚火のことが次のように書かれている。

苦難の昭和二十年を送って、今、われわれは新しき二十一年を、この瞬間に迎える。全く感慨無量ではないか。久しぶりでこの焚火。一切の醜悪と虚偽と怠惰と争いと物慾と嫉妬と・・・を焼き捨てようではないか!
(略)
万物を焼き尽くすあの熱はどうだ。力はどうだ。音はどうだ。
そして、あの光はどうだ。あの火の粉、あの焔の美しさ、さまざまな色、あの千変万化の線。たまらない希望と力と清浄さとを感得するではないか!よき自我に、よき玉川に、よき日本に、よき世界にするために、この感激をもて進もう。

1971(昭和46)年

3.塾生の思い出

『玉川学園 塾の歩み五十五年』に掲載されている「残塾」(工藤俊一著)に次のような記述がある。

大焚火ではササの山に埋もれながら薄暗くなるまで汗を流し、燃え残りの後片付けは凍てつく寒さの中深夜二時まで及ぶ。そんな苦しさの中にも安らぎや静寂さがあった。
(略)
クリスマスキャロルは町の明りが消えた頃、ローソクの小さな炎の列が丘を巡る。そして静かな讃美歌の歌声が響く。もてなされた甘酒やおしるこの温かさは格別だった。大太鼓の一〇八つの音を聞きながら赤々と燃える大焚火を見つめる。やがて起こる「あけましておめでとうございます」という歓声。
小原先生に見送られ玉川の丘を下っていく時、丘を離れるさみしさと、やっと故郷へ帰れるうれしさが心の中で同時に湧き起こる。

また、『玉川教育 ―玉川学園三十年―』(玉川大学出版部発行)には、「大晦日の大焚火」というタイトルで次のような文章が掲載されている。

心配していた大晦日の雨も十時頃から止みだし、除夜の鐘ならぬ、学園名物である塾の太鼓の合図によって、やぐらの上に積み重ねられた笹に点火された。
合唱「蛍の光」で一九五八年に別れを告げ、「年の始め」で一九五九年を迎える。火焰を円陣にとりまく塾生、諸先生、その御家族、またわざわざ塾に泊って、この焚火から新年の祝賀式まで参加する通学生達の頬は燃えだした焰に照らし出されて紅潮する。
湿気をおびたものが燃え出せば、益々焰が強くなる様に、一年間のじめじめしたものを総べて焼きつくす焰は益々その火気を強くして暗黒の天空に吸い込まれていくようだった。
哲郎先生のお祈りにつづいて、暫らく讃美歌の合唱、焰を眺めての沈黙。
それぞれの心の中で、一年間の反省と新たなる決意が、美しいハーモニーとなって燃えさかる焰の中に表示される美的なものに通じていく。
約一カ月の間、厳寒の朝六時から起きて塾生一人一人の労作によって刈りとられた笹は、このようにして一年間の我々の汚れを総べて焼きつくし、今年の希望を、光を、夢を与えてくれたのであった。
「総べてのものはわれわれの手から」この誇りこそ塾生のものであり、学園建設の精神である。
焚火が終わったあと、二時半頃までスコップ片手に後かたづけをしてくれた七、八名の塾生の姿。すっかり焰の光がなくなった真暗な聖山に、人に知られもせず、せっせと働いていた。

クリスマスキャロル 1973(昭和48)年
大晦日の大焚火

4.写真で見るクリスマスキャロル

5.写真で見る大焚火

関連サイト

参考文献

  • 『玉川学園 塾の歩み五十五年』 玉川大学・玉川学園女子短期大学塾 1985年
  • 小原國芳著『塾生に告ぐ 小原國芳全集14』 玉川大学出版部 1964年
  • 小原國芳監修『全人』第20巻第1號 玉川大學出版部 1950年
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『ZENJIN』No.642 玉川大学出版部 2001年 に所収)
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第804号 玉川大学出版部 2016年 に所収)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 『玉川教育 ―玉川学園三十年―』 玉川大学出版部 1961年

シェアする