教育行脚

2013.08.05

「全人教育」の理想を語り、全国に新教育運動を展開

教育博物館展示パネル「小原國芳教育行脚訪問地」

小原國芳は半世紀以上にわたり全国各地を教育行脚し、「教育立国」の夢を、そして「全人教育」の理想を語り、全国に新教育運動の火を点した。

訪問年月がわかる教育行脚の最初は、1920(大正9)年5月1日。時に小原國芳33歳。場所は福島師範学校附属小学校であった。行脚は戦中の一時期中断したが、1975(昭和50)年11月まで半世紀以上続いた。訪問地は全国津々浦々という言葉が正に当てはまるほど日本全国各地にわたっている。『全人教育』の身辺雑記などの記録によれば、996にもおよぶ市町村の訪問地名があがる。*

2度、3度と訪問した市町村は多いが、10回以上訪問した所は秋田市、銚子市、目黒区、横須賀市、名古屋市、大阪市、神戸市、鹿児島市、そして郷里の鹿児島県久志(現・南さつま市坊津町久志)の9カ所である。訪問した市町村数を都道府県別でみると、50以上が東京都と静岡県、49から40までが鹿児島県、千葉県、神奈川県、39から30までが秋田県、新潟県、29から20までが福島県、岡山県、香川県、茨城県、兵庫県、広島県、山口県、栃木県、群馬県、福岡県である。47都道府県、全国996もの市町村にわたる行脚の足跡は、本学教育博物館展示パネル「小原國芳教育行脚訪問地」で見ることができる。

文部大臣陪席のもとにベルリン市での講演
1931(昭和6)年10月28日

また、1930(昭和5)年10月28日には、初めての海外教育行脚のため春洋丸にて横浜港を出発。帰国は翌年6月3日。ハワイやカリフォルニア州にて数十回の講演。欧州では、海外における玉川教育のもっともよき理解者のひとりであるスイスのチンメルマン博士の世話で、チューリッヒ、ベルン、ウィーン、ミュンヘン、シュツットガルト、ベルリン、ハンブルグなどで講演。

玉川教育についての講演は欧米に大きな反響を呼んだ。小原自身による『教育講演行脚・身辺雑記』によれば、例えばハンブルグでは2晩で約6000人、ベルリンでは約3000人の聴衆が集ったとある。また、ベルリンでは、文部大臣が最前列でその講演を聞き入ったという。さらに太平洋戦争の開戦前には「日米戦うべからず」とアメリカで270回もの講演を行ったとされている。

新生日本は教育立国にあり 1946(昭和21)年1月

戦後第1回目の行脚は、終戦から3カ月後の1945(昭和20)年11月22日、東京都江戸川区の教育会へ。困難な交通事情の中でこの行脚は再開された。

講演の中心は「全人教育論」「教師論」「教育立国」など教育全般にわたり、実践の場である玉川学園についても熱き思いを込めて語った。それ故、話を聞かれた方々は小原國芳の名前とともに、玉川学園の名を記憶したことだろう。講演後には、著書や百科事典などの販売も行った。

特に國芳は「新生日本は教育立国にあり」と、困難きわまる交通事情にもめげず、1946(昭和21)年1月より、全国に教育講演行脚を始める。『玉川学園五十年史』によれば、1946(昭和21)年から1950(昭和25)年の間に、國芳は北は北海道から南は鹿児島まで678回の講演を行っている。例えば、北海道で17回、青森県で14回、新潟県で19回、静岡県で124回、兵庫県で22回、徳島県で21回、広島県で23回、鹿児島県で60回。この間に行かなかった県は秋田県、三重県、和歌山県の3県だけであった。

愛媛県松山での講演 昭和44年2月

また、著書『教育一路』において、教育講演行脚の様子を次のように記載している。「私は『教育立国論』を一気に書き上げ、昭和21年の正月に出版しました。政治も外交も、産業も文化も、一切が人であり、人づくりは教育。敗戦に打ちひしがれている国民に文化国家としての再生を訴えたもの。(略)自由にものが言える時代を迎えて、寸暇を惜しんで原稿を書くかたわら、再び全国を獅子吼(ししく)して回るようになりました。北は北海道の果てから、南は奄美大島、沖縄まで、月のうち三分の二は旅先での講演につぐ講演の日々。あの交通地獄、食糧難の中を、おにぎりを数食分も携帯し、身動き出来ない車中に小便ビンを隠し持っての悪戦苦闘。聖ヨハネを、フィヒテを、日蓮上人を思い起こしての絶叫でした。『日本の先生方よ、まだ遅くはない。ふるい立ちましょう。負けた国は本気になれば、もと以上に偉大な国に成るということを世界史は教えております』」と。

『小原國芳全集』の「教育講演行脚・身辺雑記」

最後の教育行脚は1975(昭和50)年11月19日、生誕の地鹿児島の鹿児島女子短期大学創立10周年記念式での記念講演。直前にビタミン注射をして臨んだ講演。時に小原國芳88歳。そのときの様子が『全人教育』(317号)の「身辺雑記」に次のように記されている。「さて、何を話しましょう。東京からずっと考えて来たのでした。二度目の記念講演。及第点が頂けるか、これでも小心者の私です。これが最後の講演でしょうが。」そして、講演では「『良母の一人は百人の教師にまさる』という金言がある。斉彬公の母、ゲーテの母、リンカーンの母、瓜生保の母・・・、世界は母に感謝せねばならない。」とよき妻、よき母について語っている。

教育行脚の詳細については、『小原國芳全集』(全48巻)の21巻から27巻、37巻から40巻、44巻、45巻、47巻の「教育講演行脚・身辺雑記」(1)から(14)までに記録されている。

  • また、最近の研究で戦前の樺太、台湾、朝鮮、満州への教育行脚を行っていたことがわかった。

参考文献
小原國芳『教育講演行脚・身辺雑記(1)』(小原國芳『小原國芳全集21』 玉川大学出版部 1966 所収)
小原國芳『教育一路』 玉川大学出版部 1980
小原國芳編『全人』 第16巻第1号1月号 玉川学園出版部 1946
小原國芳編『全人教育』 No.199 玉川大学出版部 1966
小原國芳編『全人教育』 No.317 玉川大学出版部 1975
小原芳明編『全人』 No.700 玉川大学出版部 2006