幼稚部

2014.03.05

玉川学園開校とともに

玉川学園幼稚園(現在の玉川学園幼稚部)は1929(昭和4)年4月8日の開校式から保育活動が始まっている。当初は学園在住の幼児たち数人(年少から年長までの混合保育)で行われ、天気がよければ野山を散歩する自然の中での保育が主であった。その様子を当時の村井静江主任は『学園日記』の中で「私たちの幼稚園は、晴天の日には殆ど自然の中に入って参ります。学園の丘から丘へわたって居ります。野が森が谷が流れが、私共の幼稚園なのです。花も鳥も草もバッタも、どんなにいいお友達で合って呉れたかしれません。」と記述している。

また、学園創立当初から大事にしている宗教教育は、幼稚園においても大切にされ、当時の村井一牧師は各部だよりに「幼稚園に於ける自然による宗教教育」を掲載して、その重要性を記している。こうして創設当時の幼稚園は、自然の中で幼児の宗教的心情を育てる活動を続けてきたが、1944(昭和19)年から3年間、時局の影響を受けて一時休園の止むなきに至り、1947(昭和22)年4月に再開された。

小学部とともに

卒業式 1964(昭和39)年3月

4月4日、幼稚園・小学部・中学部・高等部・専門部までが礼拝堂に会して合同で入学式を実施。幼稚園新入生は合計で16人の入園となった。この時期の幼稚園は女子高等部の教室を保育室として、女学部の生徒が交代で手伝いにくる事しばしばで、工芸館から積み木、小学部から提供された絵本やピアノを中学部の生徒が運んでくれるなど、学園総掛かりでサポートされた。また、翌年は小学部1年生と幼稚部が校舎を移して(現在の太鼓櫓付近)幼稚園から3年生までを「幼学部」と命名する実験学校も試みられて、小学生と一緒に発表会や運動会などを開催したり、顕微鏡などの教材教具を共有したり、幼小の一貫教育を考える上で数多くの示唆にとんだ活動が展開された。

こうした経過を経て1950(昭和25)年12月20日、東京都から「玉川学園幼稚部」として正式に認可され、これにともない鉄棒等の遊具や施設の充実を図り、認可前の混合学級から、形式上も年齢別学級編成にしている。また母の会を結成して、毎月の例会で講師をまねいて講演会を計画し、バザーを催して設備拡充の基金にするなどの活動も始まっている。子供たち待望の「砂場」もこの時期に作られ、雨や雪の日以外は、いつも幼児がいるという状況であった。

そして1966(昭和41)年3月10日、保育室4棟と事務室が正門池のほとりに、数多くの卒業生にとっては今でも記憶に残る「キノコの形をした赤い屋根の幼稚部園舎」での保育がスタートした。

様々な実践活動の挑戦

開校当初から進めている玉川学園の幼児教育は、創設者の言葉から導かれるように、「Kindergarten―幼稚園」を初めて作ったドイツの教育学者フリードリヒ・フレーベルの「子供の本質を神的なものとして捉え、子供の共感的理解と、それに基づく教育内容」という考え方に啓発されている。そして、創立50周年時に幼稚部長であった日名子太郎は「創設者が示した、きれいな心・よい頭・強い体の目標を実現することは、幼児教育の最も重要な使命であるが、その為にはあくまで全人教育的立場から逸脱することなく、しかも乳幼児の自然な成長・発達を阻害することのない適切な方法論を確立する事が大切である」と述べている。そして、そうした具体的な保育活動の展開として、その新園舎完成以降、ますます積極的な試みが進められた。例えば、造形活動を通して1年の成長を作品として展示する幼稚部展の開催、親と子と先生が一体となって1日を過ごす親子会の実施、両親学級と称した父母のための保育講演会等、現在も形を変えながら、しかし幼児教育の大切な要件として数多くの行事活動を展開している。また、保護者を離れて栃木県那須に場所を移した5歳児の自立訓練宿泊合宿は、現在でこそ多くの幼稚園で実施されているが、当時は画期的なこととして新聞でも次のように紹介された。

「心配よそに2泊3日の集団生活楽しむ 自主性を養うのがねらい」 旅行に出かけたのは東京・町田市にある玉川学園幼稚部の5歳児、男32人、女36人の計68人。旅行先は栃木県黒羽町の同学園黒羽塾。朝はウグイスで目ざめ、マツ、クヌギ、山ツツジが茂り、男体山、那須岳を望見できる景勝地である。スケジュールは初日午前10時半新宿西口をバスで出発、2泊して3日目の午後2時半新宿着。「その間、人形劇、歌合戦、遠足、花火などのあそびを通して子ども達のかくされた性格、特徴をみ、食事、入浴、衣服の着脱、就寝などを通し、成長を観察し、自主性を養うのが目的です」(日名子部長) 1964(昭和49)年6月9日 産經新聞

玉川学園の幼児教育

幼稚部では、これらの実践活動の充実発展とともに、保育原理や保育内容の在り方についても研究が進められた。すなわち玉川学園の保育のあるべき姿について、より詳しい内容を求められる機会が増え、特に保育科卒業生からは「もっと知りたい」との要望も多く寄せられ、1963(昭和48)年には「ひとりひとりを育てる保育」をテーマとして最初の幼児教育講習会が始められた。この幼児教育講習会は幼児教育の情報発信地としての幼稚部の役割を顕著に示しており、毎年の参加は、礼拝堂収容人数600人を限度に対して、かなりの数の申込みであった。また、この年度は3歳児からの入園を許可する体制を整え、いわゆる3年保育の開始年度でもあった。外部の一般幼稚園が3年保育に対して多くの課題と困難を抱えている状況の中での挑戦でもあった。1969(昭和44)年、ゾウの滑り台。1975(昭和50)年、幼稚部園庭にフレーベル像の座像も完成。施設としてもますます充実していった。
このように幼児教育の在り方を求め続ける毎日であったが、小田急沿線の人口増加によって、正門前の踏切の音や通過音が幼稚部の活動に影響する事も増えていたので、2000(平成12)年4月、キノコ型園舎を玉川大学継続学習センターに譲り、よりダイナミックな活動を求めて、現在の場所、経塚山南側斜面に建設された新園舎での活動に引き継がれたのである。

参考文献

岩崎次男『フレーベル教育学の研究』玉川大学出版部 1999
小笠原道雄『フレーベルとその時代』玉川大学出版部 1994
荘司雅子『フレーベルの生涯と思想』玉川大学出版部 1975
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980
日名子太郎『玉川学園50周年記念論文集-幼児の知的活動の発達を促す保育方法原理について』 玉川大学 1980
『フレーベル全集』全5巻 玉川大学出版部 1977-1981
『玉川学園概況』 玉川学園 1932