エドワート・シュプランガー

2014.03.19

教育学の大家、玉川を訪れる

1937(昭和12)年 玉川学園駅前にて

1936(昭和11)年11月9日、一人のドイツ人が横浜港に降り立った。彼の名は、エドワート・シュプランガー。20世紀ドイツを代表する教育学者であり、心理学者、哲学者である。日独の交換教授として来日したシュプランガーは、1937(昭和12)年10月16日に神戸港から帰国の途につくまで、80近くの大学や研究所に足を運び、講義や講演を行った。その中の一つに玉川学園も含まれている。

エドワート・シュプランガーは1882(明治15)年にベルリンで生まれ、ライプツィヒ大学やベルリン大学で教鞭を執る。訪日後にドイツへ戻り、テュービンゲン大学に就任。1953(昭和28)年に後任に職を譲るが、このときの後任者が玉川学園とも縁の深いオットー・フリードリッヒ・ボルノーであった。後年ボルノーが玉川学園を訪れたのも、シュプランガーが「日本を訪れたなら玉川学園を見よ」と強く勧めたことによるとされている。
近代から現代における教育学は、ドイツにおいて萌芽し、その確立に向けて研究が行われた経緯がある。特に、20世紀のドイツ教育学の相貌を規定したのがヴィルヘルム・ディルタイであり、彼の提唱する精神科学的教育学の流れを汲むのが、直接の弟子であるシュプランガーだった。この精神科学的教育学は、20世紀初頭の日本においても大きな影響力を持つに至る。彼の著した『文化と教育』は玉川大学出版部から発行されているが、現代においても教育学における重要なテキストの一つとなっているのである。

シュプランガー博士を迎えて 客間にて

シュプランガーの訪日は第二次世界大戦前夜の、ドイツにおいてはヒトラーが国家社会主義ドイツ労働者党の独裁体制を築き上げた時期でもあった。ドイツ思想界における一大派閥となった精神科学的教育学派とヒトラーの関係は緊密だったともいわれるが、シュプランガー自身はヒトラーに批判的であった。そんな折、彼の元に届いたのが日独の交換教授として訪日するという誘いだった。彼は多くの躊躇や悩みの末に、それを受諾した。シュプランガーの日本訪問はわが国の教育界においても非常に幸運な機会となったのであった。

理科実験の様子を見学

シュプランガーは妻を伴って日本を訪れ、各地の大学や研究所で講義・講演を行っている。そんな彼が玉川学園の門をくぐったのは1937(昭和12)年3月のことだった。彼と玉川学園を引き合わせたのは第9代京都帝国大学総長であり、当時玉川学園の顧問を務めていた小西重直。日本を代表する教育学者である小西が「シュプランガー博士が玉川学園を見たいとのことである。ゼヒ案内せよ」と小原國芳に手紙を送ったのだった。玉川学園を訪れたシュプランガーはキャンパス内の豊かな森はもちろん、池や山などを見て非常に喜んだ。そして何より、専門部、農科、工科、中学部などでの授業風景に目を細めたという。特に小学部や幼稚園での生徒の様子は、子供好きのシュプランガー夫妻には印象的であったという。シュプランガーが玉川学園で過ごした時間は決して長くはない。けれどもこの訪問以来、シュプランガーと玉川学園の間には緊密な関係が生まれたのであった。彼の代表的著作である『文化と教育』『教育者の道』『生まれながらの教育者』は、いずれも玉川大学出版部が発行している。また『玉川学園三十年史』出版に際しても立派な祝文を贈ってくれただけでなく、オットー・フリードリッヒ・ボルノーと玉川学園を引き合わせてもくれた。
ちなみにシュプランガーはその幅広い研究活動の中で、早い時期から「郷土科」の教育的価値について述べている。郷土科とはドイツの初等教育における地域の特性を生かした全体教授という総合学習形態である。豊かな自然の中で全人教育を行う玉川学園は、シュプランガーが想い描く教育の理想像にも近かったのであろう。



参考文献
E.シュプランガー(村井実・長井和雄共訳)『文化と教育』(世界教育宝典)玉川大学出版部 1957
E.シュプランガー(浜田正秀訳)『教育者の道 生まれながらの教育者』玉川大学出版部 1959
小原國芳編『女性日本』第53号 玉川学園出版部 1937
小原國芳編『全人教育』第172号 玉川大学出版部 1963