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公演旅行

2014.03.20

全国各地で喝采を浴びた、玉川っ子の溌剌とした公演

東北公演旅行の一行

創立当初から体育や芸術に力を注いできた玉川学園。その授業はもちろん、教室を離れた場所でも積極的に取り入れることを心がけていた。当時、体育を指導していた斎藤由理男は、1930(昭和5)年代にデンマークに留学し、デンマーク体操で知られるニルス・ブック氏の公演活動に大きな感銘を受けた。それは体操の他に合唱やフォークダンス、寸劇までも含んだものであった。斎藤はニルス・ブック氏が行っていたこのような講演を、本学園の生徒たちで実現したいと考えるようになった。これらの想いを後押ししたのが、1936(昭和11)年2月に東京・九段の軍人会館(後の九段会館)で行われた、玉川学園の学園祭である。この舞台で生徒たちは体操や合唱を披露し、喝采を浴びることとなった。こうした雰囲気の中で、「この成果を地方でも公演できたら」という提案がなされ、玉川学園の公演旅行は実現に向けてスタートを切るのである。
とはいうものの、当時の出演メンバーには卒業を間近に控えた生徒も多く、早急に進めたいとの意向が強く打ち出された。そこで斎藤らが中心となりプランを作成。当初は3月の実施を予定していたが二・二六事件が起き一ヶ月の延期を余儀なくされる。そして4月28日に、第一回公演旅行に向け教員と生徒は出発したのだった。

関西九州地方公演 1936(昭和11)年7月17日

第1回公演旅行は秋田県の大曲を起点に、十文字、金足、追分、本庄、西目、酒田、鶴岡、坂町、新発田を経て新潟を最終会場にして実施された。生徒は専門部や中学校、女子高等部、女学校などから約30名が参加。体操や合唱を披露し、各地で喝采を浴びた。ちなみにこの第1回公演旅行で秋田市を訪れた際に歓迎会が催され、そこで地元の先生が歌った民謡を採譜し、音楽教員の岡本敏明が作ったのが、多くの人が知っている童謡「どじょっこふなっこ」である。 この公演旅行が成功裏に終わったことによって、その教育的意義と可能性が再認識されることとなった。特に小原は「男女共学の自然さ、素直さ、そして宗教教育などにより、玉川の生徒たちは自然と声が揃うのです。普通の子どもでも、普通の学校でも、こう歌えるのだと分かっていただければ日本の農村改革や青年団の文化構成運動の重要な参考になるだろうと思った」と、第一回公演旅行が終わった後に述べている。こうして公演旅行は、この後定期的に行われる学校行事となっていくのである。

東海道地方公演
1937(昭和12)年2月12~17日

第2回以降の公演旅行は関西・九州地方、東海地方、関西地方、土浦・日立方面、広島・九州方面、宇都宮、吹田市・天王寺など、まさに全国を回るものであった。どの土地を訪れても学園の卒業生が待っており、そのことが生徒や教員の喜びにもつながっていた。生徒の引率には小原國芳はもちろん、生徒から「おばさま」と慕われた妻の信も度々同行した。

公演旅行で披露される演目も体操や音楽、寸劇だけにとどまらない。時には交響楽団の演奏会に出演することもあった。1938(昭和13)年10月の関西地方公演では、大阪における新交響楽団(現:NHK交響楽団)の第九交響曲演奏会に出演。ラジオでの合唱放送も行った。

さらに1940(昭和15)年には当時の満洲国での満蒙慰問旅行にも生徒を引率し、公演を行っている。6月11日に釜山に入り、7月24日まで延べ44日間にわたって、陸軍病院39カ所、部隊慰問、満鉄関係、師範学校、その他小・中・女子校、一般の人々への発表なども含め、50数回の公演を披露したのだった。

こうしてこの公演旅行は1943(昭和18)年まで続けられたが、戦局の悪化と共に1944(昭和19)年以降は中止となってしまった。当時の公演旅行は戦時中ということもあり物資も乏しく、移動も汽車を乗り継いでのもので、まさに強行軍であった。それでも足かけ8年にわたりこの公演旅行が続けられたのは、玉川の丘で日々行われている音楽や体操のある学校生活を、日本全国の人々に見てもらいたかったから、そして披露する演目が各地で喝采を持って受け入れられたからに他ならない。

満州への皇軍慰問公演
後に見えるのは錦縣のラマ塔
1940(昭和15)年6月10日~7月25日
満蒙慰問旅行行程

現在の日本において、学校の生徒たちが教室を離れ、日頃の勉強の成果を発表したり、地域のボランティアに参加するといった校外活動は、日常的に行われている。本学園では、大学芸術学部パフォーミングアーツ学科学生による沖縄公演や、中学部・高等部ハンドベル部、オーケストラ部による東日本大震災の被災地訪問など、活発な活動を継続的に行っている。しかし、今から70年近く前にこうした公演旅行を行っていた事例は決して多くはなかった。玉川の生徒たちの公演を実際に目にした全国各地の同世代の子どもたちやその指導者たちは、そこから多くのものごとを感じ、学び取ったに違いない。この公演旅行は、新しい時代の教育を各地に広げる、重要な機会であったのだ。


参考文献

小原國芳編『女性日本』11月号 玉川学園出版部 1936
小原國芳編『全人』9月号 玉川大学出版部 1940
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園50年史』 玉川学園 1980

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