玉川大学 玉川学園 2016
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Tamagawa University & Tamagawa Academy 201606時代に即した「全人教育」小原 芳明 1946-学校法人玉川学園理事長玉川大学学長玉川学園学園長小原 哲郎 1921-2011前名誉総長小原 國芳 1887-1977創立者のかたわら、道路工事や運動場建設、まき割りや園芸といった「労作」に奮闘する、文字通り“学園づくり”から始まりました。小原國芳が「全人教育」を掲げたのは、当時の日本の教育を見るに、人間教養が著しく欠けており、偏重した教育を正して、真実の人間性を伸ばそうと考えたからでした。小原國芳は、教育の内容には人間文化の全部を盛らなければならないと説き、教育の理想を「真」「善」「美」「聖」「健」「富」の 6つの価値を創造することにあると位置づけました。調和ある人格をもった「全人」を育てるため、教育に心血を注ぎ、「一流」を子供たちに体感させるため奔走する小原國芳の「教育に対して何ごとも惜しまない姿勢」は、現在の玉川学園の教育活動にも脈々と受け継がれています。の充実を図るため、玉川学園学術教育研究所を設立、大学院では農学研究科と工学研究科に博士課程後期を設置しました。1976年には、カナダ ブリティッシュ・コロンビア州ナナイモ市に「カナダ・ナナイモ校地」を開設、国際教育を時代にマッチさせた形で実践しようとしました。「教育は単なる精神論のみではできない、めざす教育の場にふさわしい条件の整備が不可欠」として、中学部校舎や記念グラウンド、記念体育館など教育環境の充実にも取り組みました。明日への夢を描き続け「初代は器を作る泥を運んできた、2代目は泥をひねって器を作り、何でも好きなものを入れなさいと差し出した、それに何を入れるかは、次の世代が考えること」と述べた言葉の中に、玉川学園の高い志を受け継ぐ歴史が表れています。営学部、2002年には文学部を改組して教育学部、芸術学部を開設しました。さらに2003年には玉川学園女子短期大学教養科をリベラルアーツ学科として文学部に、幼児教育科を乳幼児発達学科として教育学部に移行発展させるなど、時代のデマンドに対応した策を次々に打ち出しました。その基礎となる「全人教育」は不易なものとして、中心に据えての改革でした。2005年、高等部が「ラウンドスクエア」の日本における初のメンバー校に認定されたのもその一つでした。祖父國芳が掲げた 「全人教育」を、父哲郎が築き上げた経済的基盤の上で、時代に即した「全人教育」を推進すべく、全教職員の先頭に立って奮闘を続けています。また現在は日本私立大学協会理事、文部科学省大学設置・学校法人審議会および中央教育審議会委員を担当しています。1887(明治20)年、鹿児島県生まれ。家庭の事情で中学進学を諦め、電信技手の職に就きましたが、「教師になりたい」という夢を諦めきれず、鹿児島師範と広島高等師範で学び、香川師範で教えたのち、さらに京都帝国大学へ進み、同哲学科を卒業して広島高等師範附属小学校の教頭格として活躍しました。その後、成城小学校主事、成城高等学校校長となり、成城学園を大きく発展させました。しかし、「マコトの教育」への欲求は抑えがたく、1929年、「全人教育」の理念に基づき、現町田市の丘陵地帯に玉川学園を創立しました。そこは、かつて自らが脳裏に描いた「ゆめの学校」の光景と非常に似ていました。小原國芳の教育思想に共鳴し、集まった教職員は18人。創立時の学園は、教職員と111人の生徒が寝食をともにし、勉強1921(大正10)年生まれ。慶應義塾大学卒業後、父國芳の教育事業を助けるべく、1951年より玉川学園に奉職。文学部教授を皮切りに、1973年玉川学園理事長、玉川大学学長、玉川学園女子短期大学学長、玉川学園学園長に就任しました。創立者の没後、 その夢を受け止め、教育のための人材、施設、経済的土台を磐石なものとするために尽力し、玉川学園と生涯をともにしました。「やればやれることを、やらないのは罪」と、玉川教育の幹をさらに揺るぎないものとし、枝を伸ばし、葉を繁らせて姿を整えました。「学園の将来の盛衰の鍵は教育研究の如何にある」と考え、一貫教育体制の中での教育理念の構造化、教育実践活動における方法論の検討、教育研究体制の確立、 カリキュラム再編などに加え、教育の基盤である研究1946(昭和21)年生まれ。玉川学園小学部・中学部を経て、高等部へ進み、2年次に、アメリカのロックスベリー・ラテン・スクールへ留学。同校を卒業後、マンマス大学へ進学しました。スタンフォード大学大学院教育政策分析専攻の修士課程を修了。1987年、玉川大学文学部教授。国際教育室長、副学長を歴任したのち、 1994年、玉川学園理事長、玉川大学学長、玉川学園学園長となりました。同年、玉川学園学術教育研究所を玉川大学学術研究所に改組したほか、テレビ会議システムによる、小学校レベルで初の国際交流プログラムを米国ハーカー校と開始しました。1998年には、園児・児童・生徒と家庭、教師を結ぶコンピュータ・ネットワーク・システム(CHaT Net)を開設するなど、時代の流れに応じた教育システムにも力を注ぎました。2001年には経学園概要

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