学校法人 玉川学園 Puente 2012.06 vol.02


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静かなる勇気。その言葉をひたすらにかみしめる小原哲郎先生を偲んで情熱みなぎる機関車のような創立者小原國芳先生を支え、ときにぶつかりながらも静かなる勇気をもって玉川の経済的基盤を築いた名誉総長小原哲郎先生が永眠した。30年以上にわたり秘書を務めた平田正敏さんが語る哲郎先生の横顔とは。1921(大正10)年8月8日小原國芳・信の長男として誕生。1949(昭和24)年慶應義塾大学卒業。1951(昭和26)年より玉川学園に奉職。1973(昭和48)年学校法人玉川学園理事長、玉川学園学園長、玉川大学学長、玉川学園女子短期大学学長に就任。1994(平成6)年その任務を長男芳明に委譲。創立者の没後、「全人教育」の理念を堅持し、今日の玉川学園の経済的基盤を確実にした。2011(平成23)年6月28日逝去。富士霊園に眠る。小原哲郎前名誉総長平田正敏さん(元総長秘書・前理事)文=林愛子 写真=神ノ川智早(P17)まずは、私と玉川の出合いからお話します。私は小原國芳先生の評判を聞きつけた父の勧めで、玉川大学を受験しました。時代は、各地で学生紛争が起きていた1964(昭和39)年のことです。そこで、國芳先生は百数十人の受験生を前にこう訴えられました。「苦労して築き上げたこの学園で紛争など起こしてほしくない。賛同できなければ受験料を返すから、志ある人だけ受験してほしい」。私はその言葉に感銘を受け、強い信念を持つ國芳先生のもとで学びたいと思ったのです。 大学卒業後、農学部に奉職していた助手の私に、秘書課出向の命が下されたのは1977(昭和52)年の春。まさに忘れられない特別な年になりました。私たちが「小原のおばさま」とお呼びしていた、信先生が6月に亡くなられ、半年後の12月13日に國芳先生がおばさまの後を追うようにご逝去。その10日後の12月23日に現学長の芳明先生の結婚式が予定されていました。普通に考えれば結婚式は延期ですが、哲郎先生は勇気ある決断をされました。「オヤジは天寿を全うした。オヤジも列席するつもりだった結婚式を予定通りに執り行うことが故人の遺志を尊重することになる」と。哲郎先生はわずか半年の間に、ご両親のお葬式とご子息の結婚式を立て続けにご経験されることとなりました。 國芳先生は情熱に満ちあふれた蒸気機関車のような方で、「新校舎が必要だ」「学会を開こう」と思い立ったらすぐに動き出します。しかし、何をするにも先立つものが必要。創立者に誰も意見できない空気のなかで、唯一、哲郎先生だけが機関車の暴走を引き留めるブレーキ役を担ってお16VOL.02


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