玉川大学大学案内Puente2016
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Puenteたまがわ│27■ Alumni and Alumnae│全国で活躍する卒業生川合◦幸運にも1年目でレギュラーになりました。ただ、秋頃までは楽しくなくて苦しいだけでした。なにせ4部リーグから入ってきた選手が少なかった。馬鹿にされたくなかったので、「なめんなよ」という気持ちで頑張って、レギュラー入りしました。小原◦4部リーグと上位リーグの選手では明らかな差があるのですか?川合◦フィットネスの差はありませんが、ラグビーの偏差値が違いました。当たり前の動きも知らない、その連続でした。今まで何をやってきたんだろうと思いましたね。小原◦帝京大学は1部リーグで、優勝の伝統校になりつつありますが、下部リーグとの違いみたいなものを感じますか?川崎◦ラグビーは試合中、外部からの指示はもらえません。一人ひとりがチームのために自分で判断してプレーしなければなりません。帝京大の場合、個々の技術の高さや、サポート体制にも強さの理由があると思いますが、ラグビーに対する考え方や取り組みの姿勢も違うように思います。小原◦ラグビーの偏差値とおっしゃいましたが、4部リーグから有名チームに入部し、NECの優勝に貢献するまで、長期にわたる苦労があったのでは?川合◦一番の強みは、玉川で「やらされるラグビー」をしていなかったことでした。つらさや苦しさは自分で乗り越えるしかない。高校、大学でラグビーをやめようと思わなかったくらいラグビーが好きだったこともあります。スポンジみたいになんでも吸収できたから、先輩ともいい関係が保てました。26歳で日本代表に初めて呼ばれ、29歳、30歳で優勝しました。小原◦実はオーストラリアに出張した際に、平尾(誠二)さんと大畑(大介)選手に会う機会があって、レオさんの話になりました。川合◦平尾さんから、初めて代表に呼んでもらったんですよ。わたしのポジションはセンターポジションなのですが、そもそもセンターは外国人が入るポジションなのです。そのため候補時代が長かったです。小原◦平尾さんにレオさんの何に期待していたのかを聞くことは、さすがにできませんでしたが(笑)、何が強みだったと思いますか?川合◦ラグビーの偏差値が高くなかったので、体を張る部分を頑張りました。玉川のモットーじゃないですが、人の嫌がるところを一生懸命やるしかなかったので。例えばタックルしてすぐに起き上がる。地味なプレーですが頑張りました。小原◦桜子さんがレフリーを選んだ最終的な決め手は?川崎◦同時期に選手から選任の学生コーチへ転向した先輩の言葉でした。選手をやめてレフリーの道を選ぶことに葛藤がありましたつらいとき、これが他人(ひと)のためになると思って頑張りました。 (川崎さん)Rugby football★取材(3月8日)後リオデジャネイロオリンピック  7人制ラグビーのレフリーに選出されました。

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