故きを温ねて 45

留学生ハ悉ク日本学生ト同室

満州国留学生を迎えて。1934(昭和9)年5月21日、初代図書館(現 観音庭園)前にて
満州国熱河省承徳の留学生実家にて。2列目中央が小原國芳。1934年10月

戦前の本学には日本国内はもとより、国外の学生も多数在籍していた。このことについて興味深い記事が機関誌『敎育日本』に載っている。

玉川っ子の出身地について「内地は勿論、遠く樺太、朝鮮、臺灣、南洋、ハワイ、滿洲、支那等にひろがってゐる。更に出身地を地方的に區分して比率を求めて見ると、東京府が五〇%、東京府以外の内地二六%、植民地及外國(在留邦人)が各々四%、滿洲國(留學生)が一六%」(昭和9年6月号)。

数値は幼小の園児児童を除いた学生数をもとにしているが、実に、在校生の約4分の1を留学生が占めていた。そのためか、当時の機関誌には「……習業勞作、必能心曠神怡、智識日有進蓋。盥嗽後與熊田君等登聖山祈禱……」(『學園日記』昭和8年8月)など、留学生による漢文記事が散見する。「玉川學園満洲國留學生部報告」(昭和9年5月31日付小原國芳報告)という文書が外務省外交史料館に残されている。それには「日本語及ビ日本精神習熟理解ノ便法トシテ留学生ハ悉ク日本学生ト同室シ塾生活ヲ共ニシテイル。ソノ結果ハ非常ニヨイ成績ヲ挙ゲテヰル」と書かれている。この報告は留学生を受け入れ始めてからすぐのものだ。

教員のみが留学生教育の授業を行ったのではない。留学生と在校生が塾生活で起居を共にするなど全学を挙げて応援した。そのため留学生の日本語習得は目を見張るものがあったのだろう。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2017年5月号(No.816)より