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故きを温ねて 53

朗らかな調子を子供達はきつと喜んでくれる

ヴァイオリンを弾くチンメルマン、1930年4月。以後7回、玉川学園を訪問した
1947年6月に発行された『輪唱新曲集』。「此処に集めました十二の輪唱曲は、私の二十年の音楽教育で実際に試み、非常な成果を挙げたもの」と岡本敏明が述べている

玉川学園創立翌年の1930(昭和5)年4月、ひとりのスイス人が小原國芳を訪ねてきた。ウェルナー・チンメルマン(ドイツ語読みはチンマーマン)と言い、スイスの小学校の先生であった。

世界行脚として来日し玉川学園を訪問したとのこと。畑仕事、乳しぼり、ダンスもやればピアノやヴァイオリンも弾き、ドイツ語、英語も得意だった。チンメルマンから「毎晩々々私共に面白い輪唱や合唱を、愉快な手付で拍子をとり乍ながら敎へて」(『学園日記』第12號)もらった。 

そのとき教えられた輪唱のひとつが「蛙の合唱」であった。「蛙の合唱」は音楽科教員で校歌の作曲者であった岡本敏明によって日本語の歌詞がつけられた。戦後、文部省の音楽教科書編纂委員になった岡本の尽力で、「蛙の合唱」が小学校4年生の教材となり全国に広まった。岡本は輪唱について「これまでの堅苦しい学校唱歌の歌詞に見出すことの出来ない朗らかな調子を子供達はきつと喜んでくれる」(『輪唱新曲集』)と確信した。

オーストリア・スキーのクルッケンハウザーが1963年に玉川学園を訪問したとき、小学部(当時)の音楽授業を参観。ドイツ語で「蛙の合唱」を披露後、日独の輪唱をした(迫新一郎『音楽教育』)。「蛙の合唱」をドイツ民謡としたのはチンメルマンだが、スイス人やオーストリア人も歌うので、ドイツ語圏の国で広く歌われていたのだろう。「どじょっこふなっこ」同様に、玉川で生まれた歌が、日本中で歌われるのは楽しい思いがする。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年2月号(No.824)より

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