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故きを温ねて 60

よく旅行もしました

1937(昭和12)年5月11日、中学生と女学部生の大山登山。前から2列目、左から8人目が小原國芳
1930年7月、静岡県三津海岸にて行われた小学部の臨海生活

1919(大正8)年12月、小原國芳は日本の教育界の重鎮・澤柳政太郎に請われ東京牛込の成城小学校主事として着任した。その前年7月、成城学校(現在の成城中学校・成城高等学校)は、日本で初めての林間学校を長野県中房温泉で開設した。

玉川学園創立後、大山登山、富士登山、伊豆で10日間の臨海生活などの校外学習の記事が当時の機関誌『學園日記』に散見する。成城学校の林間学校の教育的意義を認めていたからであろう。

創立の翌1930年6月、3泊4日で中学生と教員が丹沢へ出かけた。横浜線橋本駅から出発し裏丹沢から蛭ヶ岳(ひるがたけ)、丹沢山を越えて小田急線側へ抜ける山行であった。途中、雨天のため木樵(きこり)小屋で宿泊をしている。中学生が「大岩をのりこへ、一本丸太橋を渡り、恐ろしく又勇ましい氣もする」(『學園日記』13號)などと書いている。聖山から朝な夕な眺める丹沢の山々から多くの教訓を得ただろう。

小原自身は香川県師範学校ではボート部学生らと瀬戸内海をたびたび遠漕し、成城小学校では5年生十数名と東北へ修学旅行などしている。青年教師として生徒学生と共に過ごした思い出について「よく旅行もしました」「山にも登りました」と『小原國芳自伝 夢みる人』で綴っている。

旅行は生徒学生と教員が寝食を共にする師弟同行の場であった。近年「旅育」という言葉が使われている。小原が存命ならば「そんなこと百年も昔からやっとる」などと言うに違いない。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年10月号(No.831)より

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