玉川豆知識 No.22

「どじょっこふなっこ」や「蛙の合唱」の誕生秘話

1.「どじょっこふなっこ」の誕生

玉川学園では、日頃の体操と音楽の成果を地方へと伝えていこうということになり、当時日本各地で講演を行っていた玉川学園創立者の小原國芳と共に全国を回る公演旅行が開始された。
最初の公演旅行は1936(昭和11)年の4月から5月にかけて、東北地方を回ることで実現した。この公演旅行では健康な心と身体を作るために体操が重要な役割を果たしていることを理解してもらうと同時に、音楽の持つ明朗さ、快活さを感じてもらうことが目的であった。そして各地を回る過程で、それぞれの土地に伝わる民謡や唄を取り入れることも多かった。

岡本敏明

この公演旅行で秋田市郊外の金足西小学校を訪れ、体操や合唱の披露が終わった後、一行の歓迎会が催された。歓迎会は玉川学園の合唱と秋田県の民謡やいろいろな芸能を交互に発表し合うというかたちで行われた。何度か交歓が行われた後、秋田側で指名により立ったのが中道松之助。この先生がたまたま歌ったのが、「どじょっこふなっこ」の原曲だったのだ。ただ、この時に披露されたのは「ハァー、春になれば氷(すが)こもとけて・・・」といった詩吟調のもので、現在歌われているメロディーとは全く違ったものであった。当時音楽教師として同行していた岡本敏明が興味を示し、その場で男声合唱用に採譜を始め現在のメロディーに仕上げた。やがて会が終わる頃になると、今度は生徒たちが、混声三部の合唱で「どじょっこふなっこ」を先生方に披露した。会場内は大いに盛り上がったという。
こうして「どじょっこふなっこ」は、この歓迎会の会場で誕生した。そしてこの歌は生徒たちによってすぐに練習され、翌日の本荘市での公演でも披露。大喝采を受けたという。今では日本の誰もが知っているあの童謡が誕生した背景には、こんなエピソードがあったのである。

2.「蛙の合唱」の誕生

この他にも、玉川学園によって広く知られるようになった歌に「蛙の合唱」がある。子供の頃に誰もが友だちと一緒に歌ったであろう、代表的な輪唱曲である。「かえるのうたがきこえてくるよ クヮ クヮ クヮ クヮ ケケケケ ケケケケ クヮクヮクヮ」。
この歌はスイスの教育者ヴェルナー・チンメルマン博士が玉川学園に半年ほど滞在した折りに、岡本敏明に教えた歌が基となっている。その歌に岡本が日本の子供のために作詞をしたものが、「蛙の合唱」として知られるようになったのだ。岡本によれば、「蛙の合唱」はチンメルマン博士から教えてもらった歌の中で、最初に日本語の歌詞をつけたものであり、この経験から数多くの輪唱を日本に紹介したという。

チンメルマン博士と小原國芳
昭和24(1949)年11月
玉川大学通信教育部の学生のために
チンメルマン博士がピアノ演奏
昭和52(1977)年8月

参考文献
小原國芳編『学園日記』創刊号 玉川學園出版部 1929
岡本先生を偲ぶ会『私の履歴書』(『岡本先生と私たち ―岡本敏明先生追悼文集―』所収)1983
岡本敏明『実践的音楽教育論』(株)河合楽器製作所出版部 1974
石橋哲成「チンメルマン博士と小原國芳」(小原國芳編『全人教育』No.411に所収) 玉川大学出版部 1982