玉川豆知識 No.23

「すぐれた教師が日本の教育を支える」、通信教育の誕生

1.通信教育誕生の背景

第1回スクーリング 受講者400人
昭和25(1950)年7月

昭和20(1945)年以降は戦後の混乱期にあって、日本中で教員が不足していた。とりわけ深刻だったのが小学校。教員免許を持たない者を教壇に立たせなければならない場合も多くあった。教員免許を取得したいという希望を持っていても、大学に通う金銭的・時間的余裕のない若者が多かった時代である。そんな時代にあって、教育立国論を獅子吼(ししく)して全国各地を講演行脚していた玉川学園の創立者小原國芳は、教員の再教育の必要性を痛感し、旧制玉川大学や玉川工業専門学校の教授陣による「教育大学」を開設した。そして、昭和22(1947)年5月10日、玉川学園礼拝堂において「教育大学」の入学式が執り行われた。これは、わが国の教員養成史上、全く類例のない画期的な構想であった。
この玉川大学の教育展開とは別に、文部省(現在の文部科学省)は通信による教育をアメリカから移入し、制度化を検討していた。玉川大学でも通信教育の研究が進められ、昭和23(1948)年4月には「通信教育部」が設置されている。そして、教育大学の充実のため、各地分校での出張講義とともに、教科書にもとづく通信指導が行われるようになった。

2.通信教育部の開設

スクーリング中、図書館で自習
昭和25(1950)年7月頃

昭和25(1950)年3月14日、通信による教育が日本で初めて文部省により正式に認可された。認可されたのは、玉川をはじめ、慶應義塾、中央、日本、日本女子、法政の6大学の通信教育部。その後通信教育部を設置する大学は徐々に増加していくが、特に平成12(2000)年以降急激に増え、平成24(2012)年度には45大学を数えるに至っている。
通信教育部が設置された昭和25(1950)年は、前述のとおり、まだ戦争の傷跡が色濃く残っている時代で、学校教員が圧倒的に不足していた。小原國芳の「すぐれた教師が日本の教育を支える」という信念の下、玉川大学は日本初の小学校教員免許を取得できる通信教育部をスタートさせた。

3.通信教育の発展

昭和32(1957)年8月28日には、松永東文部大臣が玉川大学を訪問。文部大臣が大学通信教育の夏期スクーリングを視察するのはわが国で初めてのことであった。
昭和33(1958)年11月21日には、大学通信教育制度創設10周年記念行事が行われた。この行事にあわせて、大学通信教育協会を組織する慶應義塾、玉川、中央、日本、日本女子、法政の6つの大学が記念誌『大学通信教育-十年の歩み-』を合同で編集し、刊行している。
通信教育は、目的やそれぞれの事情に応じた柔軟な学習が可能であることから、在学生のプロフィールは多彩なものとなっている。高校や大学を卒業したばかりの学生はもちろんのこと、社会で働きながら教員を目指す人、すでに中学校などで教員として活躍しながら、さらに小学校の教員免許や学芸員などの資格取得を目指す人、教養を身に付けることを目的に科目等履修生として学ぶ人など。居住地も北海道から沖縄まで日本全国に広がっている。

参考文献
小原國芳編『全人』第18号 玉川大学出版部 1951
玉川学園編『玉川教育: 玉川学園三十年』 玉川学園 1960
玉川大学通信教育部編『玉川の丘-玉川大学通信教育部 部報』第1号 玉川大学通信教育部 1951
玉川大学通信教育部編『玉川の丘-玉川大学通信教育部 部報』第5号 玉川大学通信教育部 1951
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園50年史(写真編)』 玉川学園 1980
日経BP企画編『玉川学園創立80周年記念誌―そして未来へ』 学校法人玉川学園 2010