玉川豆知識 No.54

玉川の丘にあった相撲の土俵

1.玉川学園と相撲

本学キャンパスにて、横綱玉錦の土俵入り

玉川学園と日本の国技である相撲との関係は、今から約80年前に遡ります。1935(昭和10)年5月29日、相撲部の土俵開きに横綱玉錦、男女ノ川以下30余名の力士が来園しました。幼稚部の園児、小学部の児童たちは、土俵入り、角逐(相撲の取り組み)、弓取りを近隣の人たちとともに見学。また、園児たちは、控室である体育館にも訪れ、力士たちの大きなお腹の上に乗せてもらいました。

1964(昭和39)年2月10日の午後、前年の秋場所で敢闘賞を獲得した君錦関をはじめ7名の力士が中学部生徒会の招待で来園。学園体育館での大相撲大会に参加しました。相撲教習所指導員である元大岩山関から相撲の精神などについての説明を聞いたのち、まわしをしめた体育部員を中心とした生徒たちが力士に挑みました。生徒たちは、本物の力士と行司さんのもとで相撲をとるのは初めてでした。

土俵中央で『栄光あれ』の合唱に聞き入る鶴ヶ嶺
断髪式に臨み、鶴ヶ嶺の髪にハサミを入れる國芳

1968(昭和43)年2月5日、小学部・中学部・高等部の児童・生徒と大学の体育専攻の学生たち合計約3,000名が国技館へ。2階席全席を埋め尽くしました。当日は、井筒部屋の鶴ヶ嶺の断髪式。まずは五人抜き、初切、ぶつかり稽古が行われました。鶴ヶ嶺は弟子の薩摩洋に胸をかしました。その後、紋付袴に着替えた鶴ヶ嶺が再び土俵に登場。観客でいっぱいの国技館の土俵中央に立った鶴ヶ嶺に向けて、本学の児童・生徒が『栄光あれ』の大合唱でその功績を称えました。そしていよいよ断髪式。学園長小原國芳も土俵に上がり、鶴ヶ嶺の髪にハサミを入れました。

断髪式のお礼にみえた鶴ヶ嶺ご夫妻を囲んで

その後、大勢の力士の取り組みが続きました。特に柏戸と佐田の山の取り組みには大歓声。児童、生徒たちは相撲の面白さを十分に味わうことができました。そして、それから16日後の2月21日には、鶴ヶ嶺夫妻が断髪式のお礼に来園されました。

  • 鶴ヶ嶺は鹿児島県出身で相撲巧者として知られ、技能賞を10回、敢闘賞を2回、殊勲賞を2回獲得しています。通算685勝。勝ち越しは序ノ口から通算94場所。金星10個。最高位は関脇。十両優勝1回。得意技はもろ差し、右四つ、寄り、上手出し投げ。次男が逆鉾(年寄・井筒)、三男が寺尾(年寄・錣山)。

1970(昭和45)年2月11日には、小学部、中学部の相撲大会が開催され、鶴ヶ嶺のほか、錦洋や福ノ花など井筒部屋と出羽海部屋の関取衆が玉川の丘を訪れました。力士たちが自ら運動場の隅に土俵をこしらえてくれて、いよいよ相撲大会がスタート。高等部生や父母、近隣の人たちが見守る中、小学部、中学部の児童、生徒が土俵の上で力士に挑戦。本物に触れる素晴らしい機会となりました。

福ノ花に5人で挑む

相撲大会終了後、さらに力士のみなさんは、礼拝堂で行われた小学部の建国祭の式典にも参加してくれました。

2.玉川の丘に立派な土俵が完成

全校体育の種目に相撲があり、その相撲で使用していた土俵が冬季になると凍ってしまうことから、相撲場を新たにつくることが計画されました。そしてどうせつくるのなら本格的な土俵をつくろうということになり、当時中学部で技術科の授業を担当していた内野勘一教諭が設計を行いました。そして1978(昭和53)年4月22日、前年の合宿労作以来9カ月にわたる中学部生の労作によって、校舎(当時の中学部校舎)前の道をはさんだ向かい側の丘の斜面に相撲の土俵が完成しました。太い4本柱に支えられた屋根付きの本格的な土俵でした。

土俵開き当日は、時津風部屋あげての協力で、時津風親方はじめ、粂川親方、関取では蔵間、豊山、双ツ竜、大潮、尾形、谷風、そして行事の伊三郎、それに呼び出しなど総勢30名がお祝いに来てくれました。土俵開きは小原哲郎学園長と時津風親方の挨拶でスタート。つづいて、化粧まわしを付けた関取衆と中学部生たちが記念写真。

土俵祭りの祝餅つき。まず小原園長から
大潮と対戦する中学部生
蔵間に挑む中学部生
チャンコ鍋を囲んでのひととき

この後、祝い餅をついて、小学部、中学部、高等部、大学の児童、生徒、学生たちが入れかわり立ちかわり力士たちに稽古をつけてもらいました。さらに相撲太鼓打ち分け、サーカスのピエロ役のような初切り相撲、相撲甚句などを楽しく観た後、最後は力士全員による取り組み。取り組みの後は中学部の塾食堂にて、チャンコ鍋を囲んでの楽しいひとときを過ごしました。

中学部生の労作

その年の中学部生の夏休み合宿労作では、土俵に雨が吹き込まないように屋形の四方に幅二間の廂を取りつけることを計画しました。そして、屋根張りや雨樋等は専門家に依頼して計画を実行。翌年2月11日の建国記念日までに完成し、時津風部屋の力士を再度招き相撲大会を行いました。

それから約30年が経過し、中学部校舎の移転などで使用頻度が減るとともに、老朽化が進んだことから、惜しまれつつ土俵は取り壊しとなりました。

参考文献

  • 小原國芳監修『全人教育』第175号 玉川大学出版部 1964年
  • 小原國芳監修『全人教育』第223号 玉川大学出版部 1968年
  • 小原國芳監修『全人教育』第247号 玉川大学出版部 1970年
  • 小原國芳監修『全人教育』第248号 玉川大学出版部 1970年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第350号 玉川大学出版部 1978年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第352号 玉川大学出版部 1978年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第370号 玉川大学出版部 1979年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年