玉川豆知識 No.65

「玉川学園」という校名の由来

校名の由来についての正式な記録は残されていなく、「玉川」という校名の起源については諸説があります。ここではその一つを紹介します。

1.「多摩川」ではなく「玉川」

玉川学園創立者小原國芳が成城小学校校長澤柳政太郎に請われて、同校の主事を務めていた1925(大正14)年のことです。多摩川の西に位置する現在の世田谷区砧に新たに小学校を開設することとなりました。同校は、牛込にあった成城小学校(1917年設立)と区別するため、「私立成城玉川小学校」として誕生しています。ここで初めて「玉川」という名前が出てきます。このことについて、『全人』No.800の「故きを温ねて」に次のように記述されています。

砧の地は喜多見の高台にあり、西に流れる多摩川を「西に玉川が長蛇のように走って」(『理想の學校』)などと多摩川を「玉川」と小原は綴った。・・・(略)・・・「多摩は地名であるが、玉の方がわかりやすいし書きやすいし感じもよいと小原先生が語られていた」と校歌の作詞者田尾一一が証言。

砧の地は多摩川の流れを望める地でもあり、正式な地名ではありませんが、この辺りを「玉 川」と呼ぶことが江戸時代の刷り物からもうかがえます。『江戸東京学事典』(三省堂)には 次のように記されています。

近世後期、江戸人の近郊遊覧がさかんになると多摩川中流・下流はその対象となり、玉川の雅名でよばれ、沿岸には数おおくの名所が成立し、玉川八景もえらばれた。

また、『角川日本地名大辞典 13 東京都』の「たまがわ 玉川 世田谷区」の解説には次のように記載されています。

地名の由来は、多摩川の別称の玉川が著名な呼称で、流域の各村に関係があるので採用された(世田谷区史)

『全人』1月号(イデア書院)には、「都の西郊玉川の河畔」という記述があります。

成城玉川小学校正門(大正14年)
開設当時の成城玉川小学校

2.「夢の学校」の名称は「玉川学園」

ゆめの学校

成城学園の発展に尽力した國芳ですが、40歳のとき、「全人教育の立場からホントの真を掴み、ホントの善を経験し、ホントの美しさを理解し、聖の世界のわかる人間を育成」したいという思いに駆られ、小田急線沿線上の丘陵地を購入。「夢の学校」実現に向けて、動き出したのでした。当初から國芳の念頭には、「玉川学園」という名称があったようです。

創立当時の玉川学園全景(昭和4年)

1928(昭和3)年、牛込にあった成城小学校が砧に移転し、成城玉川小学校を併合しました。それにより、成城玉川小学校という学校名称から「玉川」の名前が消えました。その時点で、「玉川学園」の名称は、より決定的なものとなりました。同じ小田急の沿線上であることと、多摩丘陵の一部で場所も南多摩であることから、当初の想定通り、1929(昭和4)年に「玉川学園」の名称で理想の学校が開設されました。

3.最寄駅の駅名も住所も校名と同じに

1950(昭和25)年頃の玉川学園前駅

もともと、玉川学園のある土地は「東京府南多摩郡町田町本町田」という地名でしたが、1929(昭和4)年の創立を契機に、小田急線の最寄駅も「玉川学園前駅」となり、1967年の表示改正により住所も「町田市玉川学園」となりました。國芳はのちに、「玉川学園」という名称について、「永遠の学校とするために、土地の名前をつけたもので、たくさんの地を提供してくださった方々への感謝の気持ちと、記念の気持ちである」とし、ことに人の名前は消えても、土地の名称は不滅であると説明しています。

参考文献
  • 小原國芳著『理想の學校』 玉川大学出版部 1971年
  • 小木新造他『江戸東京学事典』 三省堂 1988年
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 13 東京都』1978年
  • 成城学園『全人』1月号 イデア書院 1929年
  • 成城教育研究会『成城教育』第4号 成城学園教育研究会 1957年
  • 『成城第二中學の創設と成城高等學校の計画』
  • 白柳弘幸著『故きを温ねて』 (小原芳明監修『全人』No.800 玉川大学出版部 2015年 に所収)