玉川豆知識 No.87

江戸城の石垣の石材で作られた坂下門の石垣と、「一日不作 一日不食」の碑文

正門を入り進んで行くと右手に石垣が見えてきます。この石垣は江戸城から運ばれてきた石でつくられたものです。そしてそこには「一日不作 一日不食」の文字が刻まれています。

1.坂下門の石垣の石のルーツを探る

正門を入り玉川池を過ぎて上り坂になる右側に石垣があります。坂下門と言われ、かつては道路を挟んだ左側にも石垣がありました。坂下門は玉川学園開校当時の正門です。なお、左側にあった石垣は「大学教育棟 2014」を建設するために解体されましたが、将来築造する構想もあり、学内に保管されています。

右側の石垣
左側にあった石垣

坂下門の石垣は、石材110個を使用して積み上げられたもので、1966(昭和41)年の1月に竣工されました。この石材は江戸城の石垣で、地下鉄工事でお堀浚渫の際に取り除かれ、現在の竹橋付近から引き上げられたものを宮内庁から無償で譲り受けたものだそうです。また、その石材には、諸大名の舟印などを刻んだ刻印が20以上ある、と資料には残されています。

現在の石垣

2.一日不作 一日不食

正門から見て右側の今も残る石垣には、黒御影石がはめ込まれており、そこに創立者小原國芳の直筆で「一日不作、一日不食」の文字が刻まれています。この言葉は、玉川学園が創設された当時には、経塚山(三角点)の南西斜面、現在の低学年グラウンド付近にあったひばりケ丘と呼ばれていた畑の中央に立てられていた太い木柱に書かれていました。それが1935(昭和10)年当時には石垣の門に木彫(文字は金色)で、そして1966年(昭和41)年正月、坂下門が造り直された際には現在の黒御影石にこの言葉が彫られました。

石垣の門に木彫で「一日不作、一日不食」の文字
黒御影石に刻まれた「一日不作、一日不食」の文字

「一日作さざれば、一日食らわず」(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)という字面から、「働かざる者食うべからず」という意味に捉えがちですが、そうではありません。これは、中国唐の時代の有名な禅僧、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の言葉です。

80歳を過ぎても毎日の労作を欠かさない百丈禅師の健康を気遣った弟子たちが、ある日、禅師の農具を隠してしまいます。ところがその日から禅師は食事に手をつけなくなりました。心配した弟子たちが「禅師はこの三日間、お食事をなさいませんでしたが、どうしてでございますか」と尋ねたとき、禅師が語った言葉が、「一日作さざれば、一日食らわず」でした。

「人は、労働することが一番大切なことであり、それができなければ食べることができない」と自らを律する言葉です。そして、勤労そのものの尊さを語るこの言葉は、労作教育に燃えてこの丘を切り拓いた創立者と、創立者とともにこの地を耕してきた先輩たちの合い言葉でもありました。

3.汗の人、労働の人、腕の人でありたい

「汗の人、労働の人、腕の人! でありたいのです。百丈禅師ではありませぬが 一日不作 一日不食 です」と、小原國芳著『玉川塾の教育』の第1章「玉川塾の本質的特色」に記載があります。また、『全人』第666号の「故きを温ねて(ふるきをたずねて)」に次のような記述があります。

新しくなった校門に、改築前と同様「一日不作 一日不食」と刻まれた碑文がはめ込まれた。碑は「一日なさざれば、一日食らわず」と読み下す。中国唐代の高僧、百丈懐海禅師の「作務(さむ:禅寺で禅僧が行う農作業・掃除などの労働一般)ができないならば、食事をとらない」という著名な逸話の中で語られ、世に知られる箴言(しんげん)である。
小原國芳はこの言葉について「働かざる者食うべからずと同じ意味にとらえると、禅師の神髄に触れられない。禅師の生活態度であって、自分をこの世に生かしてくれている諸々に対する報謝の念が汲みとられます」(『例話全集』)と解説。
「一日不作 一日不食」の碑文は、校門を通る学生・生徒たちに、感謝の心を持った生き方について無言のうちに語りかけている。

ロッククライミングさながらの石垣登り
新年祝賀式に参列の大学生たち

参考文献

  • 小原國芳著『玉川塾の教育』 玉川大学出版部 1976年
  • 小原芳明監修『全人』第814号 玉川大学出版部 2017年
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第666号 玉川大学出版部 2004年 に所収)
  • 『玉川学園の教育活動 玉川大学の教育活動(2008~2009)』 玉川学園 2008年
  • 『写真でみる玉川学園75年』 玉川大学教育博物館 2004年