学校法人 玉川学園 Puente 2011.06 vol.01
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実は、小川教諭とはラグビーの師弟関係にある。中里教諭が中学生のとき、小川教諭が大学生だったのだ。「小川先生には当時、かなり厳しい筋トレで鍛えてもらいました。今でも厳しい先輩です」と軽口をたたいて笑い合えるくらい、仲がいい。 「ラグビー部の練習はキツイんですよ。なぜならケガが怖いから。厳しい練習のなかで自分の肉体の限界を知ることが、ケガを防ぐこは大学1部リーグ昇格という自らの夢に向かって励みつつ、全国大会出場を目指す後輩たちをサポートしていくつもりだ。清水さんは2人のコーチを前に「大学を卒業したら、自分も玉川のコーチになりたい」と目を輝かせて打ち明けた。 清水さんの一言を聞いて、小川教諭は感慨深げに口を開く。「実は20年以上前、同じセリフを聞いたことがあるんです」。そのセリフをーシップで選手を導く方法もありますが、玉川の場合はそうではありません。まずはのびのびとプレーさせて、一人ひとりの個性が出てきたら、その個性を伸ばしていく。高校チームは昨年、光一(清水さん)がキャプテンだったときに強豪校に惜敗しましたが、今年も全国大会出場に向けて頑張っていますよ」(中里教諭) あの日の悔しい思いは、もちろん清水さんも忘れてはいない。大学生となった清水さん諭らは10代特有の熱っぽさでチームをつくると宣言したのかもしれない。しかし、現実に3人は玉川に戻り、ラグビー部の指導に力を注いだ。 「勝てばいいとか、負けたらダメってことではないんです。勝ちでも負けでも、そこから何かをつかみ、次を目指してステップアップしていく。そういう玉川ラグビーのスタイルは確実に受け継がれています」(小川教諭)とになるんです」(小川教諭) 精神面の指導については「あえて突き放す」と小川教諭は話す。野球は試合中でも監督が選手に指示できるが、ラグビーはいったん試合が始まれば、あとはグラウンドにいる選手がゲームを進めていくしかない。さまざまな局面を経験しながら、自分の判断に対して自信を持てるようになることが成長につながる。 「『これが理想のラグビーだ』と強いリーダ言ったのは、隣にいる中里教諭である。 当時、高校生だった中里教諭とチームメンバーの3人は、小川教諭に「自分たちがコーチになってチームをつくるから、先生はレフェリーになってください」と直訴したという。 小川教諭はこの言葉を聞いてレフェリーの資格を取ろうと決意。ついにラガーマンの憧れの秩父宮ラグビー場や花園ラグビー場でホイッスルを吹くまでになった。当時の中里教15vol.01

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