全人2017特別号
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全人特別号│07■ Special Talk│芥川賞作家に聞く――❶小原 図書館機能だけなら、昔と同じで利用者が少なかったでしょう。大学教育の在り方が変わり、以前は課題をコツコツと独りで仕上げていましたが、現在は複数でいろいろとアイデアを出しながら協同して学修するスタイルが主流になっています。その場所として3,4階のラーニング・コモンズがあるのです。また、従来の独りで静かに勉強や読書をする場所として、1,2階に個人学修席を用意してあります。ところで、図書館が好きだということは、小さい頃からお母さんが読み聞かせしてくれたり、読書に親しんだりする機会が多かったのですか。村田 人が抑揚をつけて読み聞かせをするのがあまり好きではなく、字を読めるようになってからは自分で読んでいたように思います。高校進学まで育った千葉のニュータウンは図書館が少ない所で、小学生になると学校の図書館で本をよく借りていました。大きな図書館にはずっと憧れていて、その頃にこのような設備の整った図書館が近くにあったらよかったなと思います。小原 学生時代はどのような本に興味があったのですか。村田 大学の図書館では、昔の民話の元になるような民俗学的な本や普通の本屋さんでは見かけないような本を読んだり資料を借りたりしていました。小原 小さい頃から読書が好きで、それが転じて書くことが好きになったのですね。小説を書き始めたのはいつ頃ですか。村田 小学4年生くらいからですね。小原 なるほど、そこを出発点に今に至るのですね。なぜ玉川大学を志望したのでしょうか。村田 小学校、中学校と小説を書き続け、小説家になりたいと考えていたのですが、高校ではまったく書けなくなり、文学から離れた分野への進学を考えていました。でも、ギリギリのところでやっぱり小説家になりたい、少しでも芸術に近い勉強ができる大学にいきたいと、玉川大学へ進学しました。当時の芸術学科芸術文化コースでは学芸員の資格取得のための授業を受けながら、美術や音楽、演劇などの実技の授業も受講できたので、おもしろそうだなと思い、それが進学の決め手になりました。小原 玉川大学の学びは、「小説家になりたい」という夢の実現に役立ちましたか。村田 色彩学の故・武井邦彦先生のゼミナールに所属していましたが、先生は文学もお好きで、夏休み前の授業で「夏休み中に原稿用紙100枚の小説を書いて持ってきたら読んであげる」とおっしゃるんです。「小説を書きたい人はいっぱいいるけれど、読んでくれる人はあまりいない。だから小説を書きたい人がいたら、僕が読んで感想を伝えましょう。でも毎年学生に提案するけれど、持ってきた学生はいないんだよ」と。私も持って行きませんでしたが(笑)。小原 それは残念でしたね。村田 今でもプロでやっていくうえで、自分の作品を読んで批評してくださる編集者の方がいることは、厳しいことを言われたとしても、ものすごくありがたいことだと思っています。こう思えるのも武井先生のことがあったからですね。またある時は、渡された資料に新聞各紙の「キラキラ」などのオノマトペ(擬音語や擬態語など)を数えたデータがありました。私自身も興味があったので、卒業論文は色彩学とはまったく関係のない、オノマトペと日本文学作品についてまとめたいと先生に相談したら、「何でもいいですよ」と言ってくださった。その卒論は大切にとってあり、オノマトペについて考えたり話す機会があるので、今でも読み返しています。小説の世界が広がる美術、音楽、演劇の学び正門の横、朔風館2階の横断幕をバックに教育学術情報図書館 企画展示コーナー『media showcase』にて

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