『全人』2019年2月号 No.835より
2019年2月号 No.835
玉川学園のスキー学校のはじまりは、ハンネス・シュナイダーと小原國芳の出会いにさかのぼります。創立翌年の1930(昭和5)年、オーストリア・スキーの第一人者シュナイダーを招聘。全国で講演や実技講習会を行い、日本のスキー界と技術の発展に大きな影響を与えました。巻頭にはスキー指導者の杉山進さんのインタビューを収録し、オーストリア大使が学園に寄せたメッセージも掲載。シュナイダーにはじまる玉川とスキーのつながりを年表などで振り返ります。「玉川の先輩を訪ねて」は料理家の森岡梨さんが登場。卒業後のアメリカ留学を経て、東京南青山に焼き菓子店を開店するまで。そして料理家として活躍する現在に至る道のりをうかがいました。
表紙写真=岩崎美里
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当時の私のドイツ語が通じていたかは疑問ですが、クルッケンハウザー教授は私のブンデススポーツハイム滞在を許可してくれました。彼は「お金がなくても夢に向かって行動する若者が好きだ」と語ったことがありますが、私もその一人だったのかもしれません。
一冬を越した5月からは、フランクフルトの北部でドイツ語の研修を受けることに。クルッケンハウザー教授は賛成してくれただけでなく、「オーストリアには国家検定のスキー教師養成コースがある。ドイツから帰ってきたら、ススムも受けてみないか?」と提案してくれました。そこで当初1年と考えていた滞在期間を延ばし、スキー教師をめざす決意を固めました。「スキーとは雪山と自然との対話」杉山 進 p4
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自由研究は3年間「食物」でした。高等部展ではクッキーをつくって販売したり、喫茶店を開いたり。1 、2 年生と続けて賞を、3年生はパンの研究で小原賞をいただきました。
製菓の専門学校に行く選択肢もありましたが、授業で興味を持った染織を学びたくて芸術学科ヘ。手に職をつけたかったんですね。ただ、染織は好きでしたが、職業とするには難しいかもしれないとも。そんなときに考えたのが、子ども時代から好きだったお菓子づくりの道。就職活動はせず、ニューヨークに留学することを決めました。(略)
まず語学学校に通い、すぐにレストランやパン屋などの厨房で修業に入りました。インターンにお給料はありません。当時私はアメリカ人になるつもりで、日本に帰ってくることはまったく考えていなかった。それぐらいの決意でした。玉川の先輩を訪ねて 78 森岡 梨さん p22
目次
- [特集]シュナイダーと玉川のスキー
interview
スキーとは雪山と自然との対話 スキー指導者 杉山 進
創立期からのつながりを振り返る 玉川学園とスキー
銀世界で磨く心と技 スキー学校で学ぶ
より高い技術と精神をめざす スキー部の活動
故きを温ねて 64 「スキーを通して友好親善」…白柳弘幸
オーストリア大使からのメッセージ - TAMAGAWA GAKUEN NEWS
- 行事報告
玉川の音楽教育…朝日公哉 - 玉川のアクティブ・ラーニング 18
文学部 篠崎祐介 助教の授業 - 玉川の先輩を訪ねて 78
料理家 森岡 梨 【文学部芸術学科1999年卒業】 - 数字でみる玉川 5
継続学習センター受講生数 - 教育探訪 5
プログラミング導入の狙い…中西 茂 - 玉川玉手箱 19
共鳴するこころは未知の世界へ…鈴木美穂 - 今月の一労作 50
第62回日本学生科学賞 環境大臣賞 - キャリアナビゲーション ’18
株式会社俳優座劇場 髙橋光大さん+就活Q&A - 学園日誌…小原芳明
- Book Review 165 『決定版 2001年宇宙の旅』…森 文彦
- 教育博物館館蔵資料紹介 317 「高等小學讀本 第八」…宇野 慶
- 玉川の仲間たち 「プラナリア」…有泉高史