学校法人 玉川学園 Puente 2012.06 vol.02


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濃い緑のなかにのぞく赤い三角屋根。外壁が太陽の光で白く輝く。玉川学園の丘陵のなかでも一番高い丘「聖山」に建つ礼拝堂は、玉川っ子のシンボルとして親しまれてきた。 早朝礼拝やクリスマス礼拝、講話、音楽・演劇発表会と、折に触れて玉川っ子は礼拝堂を訪れ、神を敬う心、感謝の心を育んできた。思い出深いこの場所で結婚式を挙げる同窓生も数多い。 礼拝堂の歴史は古い。その成り立ちは創立当初までさかのぼる。玉川学園創立の翌年、1930(昭和5)年6月に礼拝堂建設が開始され、同年10月13日に献堂式が行われた。礼拝堂の建設は玉川学園の教職員、生徒たちも手伝った。小学生だった前名誉総長の小原哲郎先生もその一人だ。まだ生徒たちが教職員の自宅に下宿していた当時、一日の始まりは聖山での礼拝だった。礼拝堂は玉川が謳う宗教教育と労作教育を象徴する存在なのだ。 礼拝堂に備えられたパイプオルガンはアメリカのシカゴ・キンボール社製である。創立者小原國芳先生が欧米視察の際に買い求め、1931(昭和6)年8月に設置した。当時、パイプオルガンは日本に4台しかなかったという。なかでも玉川のこれは「最新型で一級品」だったとか。皆でがっしりとした木箱につめられたパイプオルガンをせっせと開梱し、5センチ程度のものから1メートルもあるパイプや、大小さまざまのチャイムを組み立てた。アメリカからやってきた技師とともに中学生4人が片言の英語でやりとりしながら組み立てや調律作業をすすめたという。長い夏休みを費やして、ようやく完成した。現在、演奏台が取り替えられ、教育博物館に保管されているが、794本のパイプは今も変わらぬ音色を響かせている。 そして2012(平成24)年5月、約半年間をかけた礼拝堂の耐震補修工事が終了した。耐震のために2階から天井を支えるように2本の柱を、床や天井には補強をほどこした。礼拝堂の補修には、卒業生もかかわっている。建築デザインの専門家である卒業生、梅園真咲さん(高等部91年卒、旧姓藤村)の案で、体に安全な漆しっ喰くいが採用された。壁や天井に漆喰を塗る際は、軍手をした手で直接仕上げる手法を取り入れるなど、手間を惜しまない見事な仕上がりだ。実は、小原芳明理事長・学長・学園長が補修工事を視察に訪れた際、自らも漆喰塗りの作業に挑戦し、記念に手形を残している。気になる方は2階の左手奥の壁を入念に見ていただきたい。 1930(昭和5)年の竣工から80年以上たって、新たに化粧直しをされた礼拝堂。ここを訪れた人々は、きっと何かにつつまれたような安心感と、変わらぬ敬虔な気持ちを持つことだろう。場所CHAPEL1930.10礼拝堂玉川っ子のシンボル屋根裏にある鐘。ここで結婚式を挙げた同窓生が誓いの鐘を鳴り響かせることも。正面から見た礼拝堂内部。天井や壁の漆喰の白さと木材の茶色が調和した、ぬくもりある空間となっている。長椅子は建設当時のもの。改修の際には、天井や壁に漆喰が塗られた。専門家の手により、みるみるうちに白くなっていく。改修された礼拝堂。壁は白く塗り直され、あたかも建設当時の姿が蘇ったかのようだ。3VOL.02


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