学校法人 玉川学園 Puente 2012.06 vol.02


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SHOKA-SON-JYUKU1966.10松下村塾学生の汗の結晶山口県萩市にある松下村塾を玉川学園に模築することは、創立者小原國芳先生の長年の夢でもあった。周囲の松林も萩の塾にならい整えたという。1957(昭和32)年、玉川学園では松下村塾の模築計画が持ち上がる。「玉川学園の開学精神でもある吉田松陰の教育理念を広く示したい」と、山口県出身の通大生5人が提案したのがきっかけ。小原國芳先生は、常々「塾教育は日本教育の世界への誇りである」と訴えてきた。その國芳先生がことに敬愛していたのが幕末の志士として知られる吉田松陰である。1959(昭和34)年は、松陰没後100年であり、くしくも同じ年に玉川学園は創立30周年を迎える。この記念すべき年を機会に玉川の丘に吉田松陰の教育精神を形づくろうとしたのだ。 吉田松陰はほとんど大工の手を煩わさず、自らの指揮で塾生を率いて、松下村塾を建築した。それを聞いた学生たちのやる気は俄然盛り上がったという。 1957(昭和32)年8月22日、いよいよ労作開始。関東地方特有の黒土をならし、切り株を掘り起こし、全員が汗びっしょりになりながらも、その表情は明るかった。 計画から約10年の歳月をかけて、1966(昭和41)年10月末に完成。「模築の『松下村塾』が、とても、ソックリ出来上って居て開校以来の念願が叶えてウレシかったです。聖山の森の中に、とても上品。玉川の名物が一つふえました。いろんな部から利用法を申込まれて居ます」と國芳先生も喜びの声を残している。 建替えの完成は2012(平成24)年7月を予定。ぜひ、玉川の丘を訪れ先人の息吹を感じてほしい。写真上:「塾生が時勢を悲憤のあまり切りつけた柱の刀痕」も写す念の入れよう。写真下:塾生代表2人と工芸館職員2人で原建物を1週間にわたって精査に記した。その記録にそって、建設が進められた。玉川学園には吉田松陰関連の資料も多く所蔵されている。下の写真にある『東北遊日記』はその一つ。(教育博物館蔵)5VOL.02


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