子どもの育ちと疫学研究

2017.06.02
教育学部長・教育学部 教授  近藤 洋子

疫学という学問

公衆衛生学の中に疫学という専門分野があります。授業の最初に「えきがく」って知っていますかと尋ねると、ひとりの学生が「易学」と書いてくれました。皆さんにとっては、占いの方が身近かもしれません。疫学とは、人間集団の中で起こる健康関連の諸問題について頻度や分布を調べ、それらに影響を与える要因を科学的な手法で明らかにする学問です。英語ではEpidemiology といいますが、Epidemicは流行病という意味なので、流行する病を追究する学問ということになります。19世紀半ばにイギリスの医師ジョン・スノウがロンドンにまん延していたコレラの流行状況を調べ、原因が汚染したテムズ川から取水した飲料水にあるということを究明したことが疫学の始まりとされています。その後、1884年にロベルト・コッホがコレラ菌を発見し、伝染病の原因は細菌やウイルスという病原体であることがわかり、疫学も大きな変容を遂げました。

現代の疫学研究

医学の進歩や社会の変化とともに、疫学のテーマは感染症から、慢性疾患、中でも生活習慣病にシフトしてきました。がんや心疾患、脳血管疾患、糖尿病などの病気です。例えば喫煙の健康影響として、タバコを吸う人は吸わない人に比べてがんになる確率が何倍高いというようなデータを目にすることがあると思います。ある要因に曝露された群と、曝露のない群で、有病率や罹患率を比較し、統計学的な処理により結果は数値で示されます。また、大勢の人口集団を長期に追跡するコホート研究も疫学の方法の一つです。生活習慣病の原因を究明するためのコホート研究としては、1948年から米国ハーバード大学が行っているフラミンガム研究が有名で、3世代以上にわたって調査研究が行われています。

育ちの疫学

子どもの育つ環境が成長発達にどのような影響を与えるかというテーマについても、コホート研究が使われるようになってきています。米国国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)が1991年から2009年まで千人以上の赤ちゃんを追跡した「初期発達における保育の質と子どもの発達に関する研究(SECCYD)」が先駆的な調査です。日本でも2001年に出生した全国4万7千人の子どもを対象とした「21世紀出生児縦断調査」が厚生労働省により始められています。その後2010年出生児3万8千人も対象に加わりました。一方、環境省による「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」も2010年から全国10万組の親子を対象に、妊娠中から質問紙や血液検査などによって追跡が行われています。この調査の目的は化学物質の健康影響を調べることですが、遺伝要因や家族環境や保育環境などの社会要因、生活習慣要因なども調査項目に含めることで、子どもの成長や心身の健康と環境要因との関連を総合的に明らかにしていくことになっています。
子どもたちの育ちについては、1人ひとりを丁寧に追っていく質的な研究も大切ですが、このような大規模な集団を対象とした調査により、エビデンスを明らかにし、保育・教育や子育て支援に関する政策に貢献することも公衆衛生学の使命といえます。

プロフィール

  • 教育学部教授 教育学部長・教育学研究科長
  • 東京大学大学院医学系研究科修士課程(保健学専攻・母子保健学講座)修了、博士(保健学)
  • 専門分野は、母子保健学、公衆衛生学
  • 財団法人日本児童手当協会(児童育成協会)こどもの城・小児保健部、玉川大学文学部教育学科、人間学科を経て現職
  • 著書:「新しい時代の子どもの保健」日本小児医事出版社、「小児保健」ミネルヴァ書房、「保育ライブラリ 小児保健」北大路書房、「子どもの保健と支援」日本小児医事出版社、「新 生と性の教育学」玉川大学出版部、「教養としての健康・スポーツ」玉川大学出版部など。
  • 学会活動:日本小児保健学会、日本公衆衛生学会、日本母性衛生学会、日本学校保健学会、日本児童学会など