頭の中でおこる学習

2018.04.10
魚崎 祐子

子どもの頃、47都道府県の名前を覚える際に群馬県と栃木県の区別がなかなかつかず苦労しました。兵庫県育ちの私にとって、群馬県や栃木県は馴染みがなく、東京の方にある県といったイメージしかない上に、両県は並んでおり、形や大きさの目立った違いも見出しにくかったのです。東京育ちの息子を見ていると修学旅行などの学校行事で両県を訪れる機会もあり、身近な存在なのだろうか、紛らわしく感じることもないようです。さらに息子は「尻尾みたいな出っ張りがある方が群馬県」といった形の区別もつけていました。一方、隣県の1つとして鳥取県を捉えていた私からすると、息子が鳥取県と島根県とで混乱したり、鳥取県を取鳥県と書き間違えたりしているのが信じられません。このように、日頃からどれだけ身近に感じているのか、それらの情報にどの程度触れているのかといったことは、個々の頭の中で認知構造の違いを作り、記憶や理解に影響します。

学習の捉え方には様々ありますが、認知論では頭の中の知識の変容を学習とみなします。私たちの頭の中は真っ白な状態ではなく、これまでに得た知識があるところに新しい情報が入っていくため、既に持っている情報と結びつきやすいかどうかということは学習成果に影響するのです。

また、一般的に情報に意味づけをして学ぶことができると、丸暗記に比べて記憶や理解につながりやすいとされています。しかし、教える側がそれをふまえてできるだけ有意味学習になるように工夫したことが、いつもうまくいくとも限りません。子どもたちの頭の中にある知識が十分でなかったり、こちらの予想と異なっていたりするために、うまくいかないこともあるのです。

以前、幕末の歴史を学ぶ際に少しでも内容が入りやすいように、と子どもたちを下田に連れて行ったことがあります。博物館などの見学をしながら、昔習った情報を思い出し、つなぎ合わせていたのは親だけで、「ペリーって誰?」状態の息子の頭の中には断片的な情報がポツポツと入っただけだったようでした。その後、歴史の授業を受け、さらなる情報を得たことでようやく旅行の時の情報同士が多少は繋がったようです。このように残念ながら、先行オーガナイザーのつもりで与えた情報そのものがうまく頭に入らず、新しい情報をオーガナイズしてくれないこともあります。大人たちや教える側にとって当たり前の情報が必ずしも学習者の頭の中にあるとは限らないのです。

子どもの頃に無理に覚えようと苦労した内容も、様々な土地を訪れたり、経験を積み重ねたりして認知構造が変わった今、あらためて眺めてみると情報同士が自然に繋がっていくのを感じる今日この頃です(もちろん全てがそんなにうまくいくわけではないですが…)。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 通信教育課程 准教授
  • 早稲田大学大学院人間科学研究科 博士後期課程修了
    博士(人間科学)
  • 専門は学習心理学、教育心理学
  • 早稲田大学助手などを経て現職。
  • 著書に『Dünyada Mentorluk Uygulamaları』(共著、Pegem Akademi Yayıncılık、2012年)、『テキスト読解場面における下線ひき行動に関する研究』(単著、風間書房、2016年)、『研究と実践をつなぐ教育研究』(共著、株式会社ERP、2017年)、主要論文に『配布資料の有無が授業中のノートテイキングおよび講義内容の説明に与える影響』(単著、日本教育工学会論文誌(39)、2016年)、『短期大学生のノートテイキングと講義内容の再生との関係−教育心理学の一講義を対象として−』(単著、日本教育会論文誌(38)、2014年)などがある。
  • 学会活動:日本教育工学会、日本教育心理学会、日本教授学習心理学会、日本発達心理学会 会員