創造的緊張(クリエイティブ・テンション)

2018.07.02
中村 香

本稿の読者の学修は順調に進んでいるであろうか。通信教育課程で学ぶ学生の多くは社会人として働いているため、学修時間の確保等が難しいのではないだろうか。学修が捗らない人への一助となればと思い、「創造的緊張(クリエイティブ・テンション)」という考え方を紹介したい。

創造的緊張とは、組織学習の第一人者であるピーター・センゲが説く、自らのビジョン(ありたい姿)と現実との乖離を創造的エネルギーの源と捉える考え方である。ビジョンを描けば、例えば、「学士になりたい(ビジョン)」が、「忙しくて学ぶ時間を確保できない(現実)」とか、「教員になりたい(ビジョン)」が、「採用試験に受からない(現実)」というような、ビジョンと現実との乖離が見えて来るものである。その乖離をしっかりと認識し創造的緊張として維持することができれば、現実をビジョンに近づける創造的エネルギーになるというのである。

ピーター・センゲ『学習する組織』 
英治出版、2011、p.207に基づく。

創造的エネルギーを生む創造的緊張とは、どういうことか、センゲは輪ゴムを上下に引っ張った状態を示して説いている。写真の様に輪ゴムを引っ張ると緊張(tension)状態になり、その間には上下に引き合うエネルギーが生まれる。上をビジョン、下を現実とすると、その間のエネルギーが創造的緊張になる。この緊張が緩むのは、自ら行動し現実がビジョンに近付いた時か、ビジョンを諦めるか下げた時である。

例えば、学士の取得というビジョンを実現するためには、「忙しくて学ぶ時間が無い」と嘆いていても仕方なく、ビジョンと現実との乖離をしっかりと認識し、時間のやりくりや、「今日はテキストの1章だけを読む」というような小さなステップを重ねて行くしかない。卒業するためには、今学期に何単位取得する必要があり、今日は何をしなければならないのかという緊張感を持ち、諦めずに少しずつ単位を取得して行けば、卒業に必要な単位数が揃い、学士というビジョンに現実が近付くのである。

現実がビジョンに近づくと、創造的緊張(輪ゴム)が緩み、創造的エネルギーが弱まる。その際には、例えば、卒業後のありたい姿を考えて、教員採用試験や大学院進学に挑戦するなど、より高次のビジョンに引き上げると、緊張が保たれる。また、教員採用試験に受かった際には、解りやすい授業展開をするための指導力の向上を目指すこと等が考えられる。より高次のビジョンを定めることで人生における創造的緊張を保つことが、生涯にわたり学び続けることに繋がるのである。

しかしながら、現実を引き上げる為には、時間や努力等が必要であり、そう簡単にはビジョンに近づけない。その為、「自分には能力が無い」というような落胆や心配などの不安な気持ちが生じやすい。不安に基づく「感情的緊張(エモーショナル・テンション)」に引きずられると、「学位を取得するよりも学ぶことに意味がある」とか「学ぶことよりも子育ての方が大事だ」というような「目標のなし崩し」や「問題のすり替わり」が起きて来る。心からそう思えるのであれば良いが、自分はその選択を本当に心から望んでいるのか、よく考えてみて欲しい。そもそも人生を創造するプロセスとは、新たなことに取り組むことなので、不安に満ちたものなのである。

大切なことは、ビジョンの内容よりも、ビジョンが自らの生き方にどう創造的エネルギーをもたらすかということである。ビジョンと現実との乖離があり過ぎると、ゴムが切れてしまうように、そこに創造的緊張は生じない。また、ビジョンと現実が近過ぎても、頑張ろうとするエネルギー(意欲)が湧かない。創造的緊張には感情的緊張が生じやすいのも現実であると受け止めて、創造的エネルギーが湧いてくるようなビジョンを設定し、自分が本当になりたい姿を目指して欲しい。

参考文献
  • ピーター・センゲ『学習する組織』英治出版、2011

プロフィール

  • 教育学部教育学科 教授
  • お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科  博士(学術)
  • 専門は、生涯学習論、組織学習論、成人学習論、社会教育学.
  • 多国籍企業に約10年間勤めた後、留学等を経て、現職。
  • 主な著訳書は、『生涯学習のイノベーション』(編著、玉川大学出版部、2013年)、『ボランティア活動をデザインする』(共著、学文社、2013年)、『生涯学習社会の展開』(編著、玉川大学出版部、2012年)、『学校・家庭・地域の連携と社会教育』(共著、東洋館出版社、2011年)、『学習する組織とは何か』(単著、鳳書房、2009年)、『学びあうコミュニティを培う』(共著、東洋館出版社、2009年)、『成人女性の学習』(共訳、鳳書房、2009年)など。
  • 学会活動:日本教育学会、日本社会教育学会、日本学習社会学会、日本産業教育学会、日本キャリアデザイン学会 など。