急須を知らない子どもたち

2023.04.01
魚崎 祐子

「お茶を入れる」といった時に皆さんが想像する光景はどのようなものでしょうか。数年前、国語の授業を担当していた先生から、物語の中に出てきた「急須」を子どもたちが知らなかったという話を聞いたことがあります。お茶といえばペットボトルに入っているものを思い浮かべたということでしょうか。私自身は子どもの頃、周囲の大人たちがお茶を入れている姿を見て、急須の使い方やお茶の入れ方を真似しながら覚えましたが、あえて場を設けて教えてもらったという記憶はありません。しかし今時の子どもたちの中には、日常生活の中でそのような姿を見ることがないという場合もあるようです。このように考えると、急須の存在を知っていても使ったことがないという子どもはそれなりにいるのかもしれません。

さて、制限は少なくなってきているものの、教育現場におけるコロナ禍の影響がなくなったわけではないため、息子たちはなかなか調理実習の機会を持てませんでした。そんな中、ようやくエプロンや三角巾を持ってくるようにという指示が出されました。やっと調理実習ができるのかと思いきや、お茶を入れる練習だということでした。まだみんなで調理をすることの許可がおりなかったということでしょうが、子どもたちには授業の場を使って「急須でお茶を入れる」という経験をさせる必要があるからこその活動なのかもしれないとも思いました。このように、以前は日常生活の中で気づけば身についていた知識や行動も、取り巻く環境が変わったことにより身につけにくくなることがあります。

一方、以前は「教える場」「学ぶ場」を設けて身につけていたことですが、今では日常生活の中で気づけばできるようになっていたということもあります。ICT機器の扱いなどはその最たるものではないでしょうか。

学生の頃、ワープロソフトや表計算ソフトの使い方については「情報処理」の授業で学びました。教員としてそのような科目を担当したこともありますし、地域の方々を対象としてそれらの内容について教えたこともありました。しかしGIGAスクール構想に加え、コロナ禍の影響もあり、子どもたちの教育環境は急速に大きく変わりました。環境の整え方や利用の頻度には大きなばらつきがあるということは承知していますが、少なくとも我が子のクラスではかなり積極的にタブレットが用いられています。

子どもたちは日頃の授業の中でタブレットを文房具のように常用しており、気づけばタイピングができるようになっていた、ワープロソフトを使えるようになっていたといった様子です。さらにはスライドを用いてプレゼンテーションをおこなったり、動画を作成したりもしています。これらの技能は切り取って教えてもらったわけではなく、何らかの科目で資料をまとめる必要があった、みんなの前で発表する必要があった、などといった場面の中で身につけていきました。小さい頃からスマホなどが身近にあった世代にとって、教育の場でもICT機器を扱うことになった時の吸収速度は非常に速く、先生方が子どもたちにある機能の存在について教えてもらうなどといったこともあるそうです。しかし、彼らの現在の生活において表計算ソフトを用いる機会はあまりないようです。そのため、私たちが以前、場を設けて教えてもらったことを全て網羅しているわけではなく、自分たちの必要な知識や技能をその都度獲得していっているといった印象です。今後、新たな知識や技能が必要になった時には、改めてそれらを身につけることになるのでしょう。

このように時代(それは決して数十年などといった長いスパンに限りません)やおかれている環境が変われば、生活の様子も変わり、必要な道具や活動も変わります。私たちが「そんなことは普通に暮らしていれば身に付く」と思うことや「これは授業を通じて教える必要がある」と思うことは必ずしも固定されたものではなく、目の前の子どもたちの姿をよく見て調整する必要があります。そしてそれは、自分自身が経験してきた教育とは一致しないことも少なからずあると思われます。そのため、私たち大人も子どもたちと関わる上での知識や技能、考え方などをアップデートし続けることが必要であるといえるでしょう。

プロフィール

  • 教育学部教育学科 通信教育課程 教授
  • 早稲田大学大学院人間科学研究科 博士後期課程修了
    博士(人間科学)
  • 専門は学習心理学、教育心理学
  • 早稲田大学助手などを経て現職。
  • 著書に『Dünyada Mentorluk Uygulamaları』(共著、Pegem Akademi Yayıncılık、2012年)、『テキスト読解場面における下線ひき行動に関する研究』(単著、風間書房、2016年)、『研究と実践をつなぐ教育研究』(共著、株式会社ERP、2017年)、主要論文に『配布資料の有無が授業中のノートテイキングおよび講義内容の説明に与える影響』(単著、日本教育工学会論文誌(39)、2016年)、『短期大学生のノートテイキングと講義内容の再生との関係−教育心理学の一講義を対象として−』(単著、日本教育会論文誌(38)、2014年)などがある。
  • 学会活動:日本教育工学会、日本教育心理学会、日本教授学習心理学会、日本発達心理学会、日本教師学学会 会員